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戦後思想界の巨人だけど居酒屋とんぺいの主人に似た庶民的な吉本隆明が好きだった

Category : 心のほとんどは60年代と70年代でできている
一昨日、吉本隆明氏が亡くなりました。


けふから ぼくらは泣かない
きのふまでのように もう世界は
うつくしくもなくなつたから そうして
針のやうなことばをあつめて 悲惨な
出来ごとを生活のなかからみつけ
つき刺す
ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
引出しからつかみだすように 心の傷から
ひとつの倫理を つまり
役立ちうる武器をつかみだす
しめつぽい貧民街の朽ちかかつた軒端を
ひとりであるいは少女と
とほり過ぎるとき ぼくらは
残酷に ぼくらの武器を
かくしてゐる
胸のあひだからは 涙のかはりに
バラ色の私鉄の切符が
くちやくちやになつてあらわれ
ぼくらはぼくらに または少女に
それを視せて とほくまで
ゆくんだと告げるのである

とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによつて
きみはぼくらによつて ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ

            〈吉本隆明「涙が涸れる」)



二十歳の頃、大きな黒い紙に白いポスターカラーでこの詩を手書きして自室の壁に貼っていました。少年期を脱して世界に異和を覚えた若イシが、旧世界への別れと闘いを決意するというような詩でしょうか。「涙」「少女」「バラ色の私鉄の切符」となどのロマンチックな言葉と「倫理」「針」「武器」「組織」などの硬質な響きのブレンド、そして呼びかけと断言が、闘いに赴く際の高揚感を醸し出していてカッコイイ叙情詩ですから、吉本作品の中でこれがいちばん好きという人は私以外にもたくさんいるのではないでしょうか。


書棚の吉本2


70年代の、遅れてきた全共闘世代の私にも吉本隆明は思考の羅針盤でした。何かにぶつかると、ヨシモトはこういうことについてどう考えているか、がとりあえず知りたくて著作を読み漁りました。彼の理論は難解で正直いってほとんど理解できませんでしたが、在野というか庶民の側にたったその立脚点には共感を覚え、また小気味よい啖呵の論争口調にも影響されたものです。
吉本宅を訪問し、玄関先で立ち話をした際、なんかの書名を書き付けた直筆のメモを貰ったとかで、それを宝物にしていた友人がいたことなども思い出されます。

90年前後、子育てなど生活に追われ本からも音楽からも遠ざかっていた頃、立ち読みした氏の著書に、労働者独裁による富の平等分配より資本家による施しのほうがより貧者を豊かにしているという事実をもって、共産主義は失敗だったといえる、みたいな記述があって(舌足らずな要約でお恥ずかしい)、ああ、ヨシモトに引導を渡されたんだから、ほんとうに共産主義(という壮大な実験)は破綻したんだな、と納得したことを覚えています。

団塊世代の思想的アイドルとも呼ばれる吉本氏のこと、悼む声もネット内外に溢れているはずですので、半可通の私の出る幕などないでしょうから、隅っこの方でそっとご冥福をお祈りします。


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Comment

吉本

いつのまにか、吉本と言えばお笑いしか思いつかなくなっていた私です。

いまじゃ、電気製品のトリセツをよむのにもかなり覚悟がいるぼくでも

若いころは彼の本を一応読みました。

87歳だったんですね。 

ちょっとはやいですね。  

合掌
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