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中島らも「いいんだぜ」は、「イマジン」をある意味超えていると、ダニエル斉藤は言った。

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今日の朝日新聞連載「おやじのせなか」は、中島さなえでした。著名人がタイトルどおり父親のことを語るインタビューで構成されたコラムで、20年以上続いていると思います。

私は、娘が小さい頃、「有名になって、おやじのせなかの取材を受けて、うっとーしー酔っ払いだけど根は優しい父でした、とか言うてくれ。それが俺の夢や」なんて吹き込んでました。もちろん娘はフツーの無名の大人に育ち、夢は実現していません。

中島さなえの父親は中島らも。

私は、12月に入ってひょんなことから久しぶりに中島らもの曲を歌って以来、その曲や、らものことを訊かれ説明することが何度かあり、昨夜もバーでマスターに喋ったので、こりゃ次のブログテーマは中島らもかなあ、と酔っ払った頭で思いながら帰路に着いたことでした。

そしたら、今朝の「おやじのせなか」が、らもの娘さんだったので、そのタイミングに驚きました。

娘さんが語るらもとの関係は、ほぼ想像どおり。家に居つかず、たまに居ても酔っている父親との間にはずっとベールがあったといいます。それが父親のバンドにコーラスで参加するようになり、次第にベールが取り払われていったそうです。バンドのときしか一緒にいられないので誘ってくれたのだろうと彼女は言います。わかるよねえ。

知らない方は、ここまで読んで中島らもをミュージシャンだと思われたでしょうが、彼の本業は作家です。
代表作を一つ挙げるなら『ガダラの豚』。前半は、笑いを伴った爽快なインチキ宗教暴き。中盤からは舞台をアフリカ、日本と移して、呪術集団と死と血の臭いに満ちた凄まじい戦いを繰り広げるという、圧倒的バイオレンススペクタクル小説です。呪術や薬物、原始性、闇などに関する中島らもの嗜好性が思い切りぶち込まれた傑作です。文庫本だと三冊に分かれている大長編。

中島らも/ガダラの豚_


中島らもを知ったのは、25年以上前。テレビのバラエティー番組で観たのが最初でした。度の強い眼鏡をかけた長髪の痩せた男がもちゃっとしたスローモーな関西弁でアホでオモロイコメントをしていて、それがまだコピーライター時代の中島らもでした。ユーモアにあふれた関西ネタエッセイで次第に知名度を上げ、朝日新聞の『明るい悩み相談室』の解答者として全国区の人気者になります。「僕は、普通の人なら飯も喉を通らないはずの窮地に立たされても、いつでも飯が美味いのです。友人には、お前には脳みそが無い、といわれます。どうしたらいいんでしょう」などという悩み相談に、らもが解答していきます。どんな答えだったか忘れましたが、あほな解答だったことは確かです。初期の雑文集『たまらん人々』では、思ったことが全部口に出てしまう「ダダモレ」のオバサンを描いたお笑い台本が、むっちゃ面白かった記憶があります。

その後、関西ネタは封印し、作家の看板を揚げ小説中心に移行します。アルコールによる酩酊状態から力を得て書きなぐり、膨大な仕事量をこなすというスタイルを続け、やがて彼はアルコール中毒となります。その破滅的な体験を描いたのが『今夜すべてのバーで』という作品。傑作です。

また、らもは「リリパット・アーミー」という劇団も立ち上げ、座付き脚本家・役者としても活躍します。創設メンバーのわかぎゑふは、その後劇団の代表、中島らも事務所のマネージャー、創作のパートナー、愛人となり、らもは妻子の居る自宅に帰らず、わかぎと暮らすようになります。そのあたりの愛憎については、妻・中島美代子の自伝『らも』に生々しく描かれています。

中島美代子/らも_

美代子によると、たまに家に居る時は、創作に詰まると妻に暴言を吐き暴力をふるうことがよくあったそうで、子供達は怯え、らもを嫌っていたようです。美代子も外に愛人を作り家庭は崩壊状態となります。やがてらもはアルコール中毒から重度の躁うつ病になり、支離滅裂な言動、激しい、視力低下ほとんど歩けないような運動障害も出てきます。こうした危機のおかげで、らもは自宅に戻り妻子と再び暮らし始めます。美代子はらもの介護をしつつ、ほとんど目が見えなくなったらもの口述筆記をしたりで、夫婦は新婚当時の親密さを取り戻したそうです。その当時の暮らしの様子はNHKのETV特集で放送され、私も見ました。40台なのに90歳の老人のようならもの姿は強烈でしたが、そこには静かで穏やかな諦観のような空気が満ち、かすかに感動を覚えた記憶があります。

やや体力も回復した1990年代後半から、らもはロック・バンドを結成し、かなり活発にライブを行うようになります。

中島らも/ロッキンフォーエヴァー

オフィシャルで入手できるたぶん唯一のライブ映像がこれです。オリジナル歌詞の詩集とDVDがセットになった、書籍扱いのものですが、この中に畢生の名曲「いいんだぜ」が入っているのです。私が先日歌ったのはこれ。

彼はあるとき、いわゆる差別語として自主規制している言葉が増え続けていることについて編集者と議論となります。このままでは自主規制用語の量は分厚い辞書ほどにもなり、文学の表現も成り立たなくなるというと、編集者は、それでいいじゃあありませんか、と言ったそうです。こうした風潮への抗議の気持を込め、彼は「いいんだぜ」のアタマで、差別的とされる単語を連発します。決して差別的に使用しているのではないというメッセージを込めて。

   君がメクラでも 君がチンバでも
   君がツンボでも どんなカタワでも
   いいんだぜ いいんだぜ
   いいんだぜ いいんだぜ

オフィシャル音源では、当然この部分はピー音で消されています。しかしYouTubeにアップされた中には、そのまま歌われているのがあり、こうして歌詞を知ることが出来ます。中島らもはいいんです。覚悟をもって、差別的とされる言葉を発しているのだから。反吐が出そうになるのは「いいんだぜ」をコピーしてそのまま歌っている幾つかの素人の画像です。そこには何の説得力も無い、覚悟も無い、薄っぺらな汚なさあるだけです。お前らには背負えないよ。

私にも背負えない。だから、この部分は歌詞を変えて歌っています。変えてもこの歌の素晴らしさは損なわれません。これはジョン・レノンの『イマジン』に匹敵する大きな愛の歌なんですから。
この歌詞の後半。

   君が黒んぼでも 君がイラク人でも
   君が北朝鮮人でも 君が宇宙人でも
   いいんだぜ いいんだぜ
   おれはいいんだぜ Hey Brother 君はきょうだい

上掲DVDのラストに入っている「いいんだぜ」ライブバージョンが名演です。らもの歌唱もバンドの演奏もゲストの石田長生のギターも熱い。そしてコーラスのさなえもいい顔して歌っています。なぜかスティーブン・セガールの娘がいて感極まってさなえに抱きついたりしてます。


今日の「おやじのせなか」を読んでから、このシーンを思い出すと、さなえの気持がわかるような気がして、すこしウルッときてしまいます。

中島らもの最期を書いておかなくちゃ。
以前から、階段から落ちて死んでしまうなんてマヌケな最期もいい、などと発言していたらもは、2004年7月15日深夜、神戸のライブの打ち上げを終えて帰ろうとして、本当にライブハウスの階段から落ちて頭を強打、脳挫傷を起こし、意識不明となり、自発呼吸も出来なくなります。手術するも回復せず、同25日、本人の日頃の意思に従うかたちで生命維持装置が外され、永眠してしまいます。

最後にさなえの語るエピソードをひとつ。高校1年の頃、バンド練習に参加したら、らもが酒飲んでだらーと練習するので腹が立ち、帰りのタクシーの中で意見しました。するとらもは

   「キミは全然わかってない。練習とか技術とかじゃなくて、ロックは殺気やから」
    自信満々なんで、何かそんな気もしてきたら、
   「おとうさんおなかすいたからうどん食べて帰るわ」って1人で降りていった。
   「うどんて。全然殺気ないやん」て。

ええボケとツッコミや。



本日もまとまりのない文章失礼しました。





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「赤めだか」を読んで、地元の仲間をちょっとイトオシク思ったりして、気の迷いでした

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朝から快晴。そして休日。世間では平日だけど。これからのスケジュールを考えると、できるのは今日しかない。何が?というと、前回書いた「ケニーの日」です。

日記にテキトーに書いたことだし、別に誰も気にしてないだろーけど、嘘を書いちゃイケナイ、なんてヘンに意識して、ヤラセではないのですが、日記に引き摺られたカタチで本日、たったひとりの「ケニーの日」開催。

朝から準備が始まります。
バイクにクーラーボックス積んで釣具屋さんで氷を買って、ビールを冷やして、自転車置き場を片づけて、アウトドア用のテーブルと椅子を設置。電源ケーブルを引き出して、音楽プレイヤーやパソコンが使えるようにして、ソラマメと柿の種を皿に盛り、本日聴く音源と、読む本を周りに配置して、とりあえず準備完了。これだけで汗だく。

ビール(風飲料)を、氷を入れたグラスに注ぎ、『レイジー・ベイビー・ケニー』をかけて、10:00頃スタート。
ああ、やっぱキモチええわあ。

立川談春/赤めだか_


今日の読み物は立川談春『赤めだか』。
3年前に出版されて、高い評価を得た自伝エッセイ。立川談志という革新的な落語家に惚れ抜いて弟子入りした著者が、葛藤の末独り立ち(真打ちになる)するまでのお話です。
立川談志という、破天荒かつ知的幼児的で破滅的でへんに常識的な、ようするにワケのわからん天才と、彼に魅かれ集まった若者たちを描いた物語です。
芸人という尋常でない世界の住人たちですから、みんな常軌を逸しています。自分もその中の一人であることを踏まえたうえで、彼らを容赦なく観察し、圧倒され、でもツッコミます。感性のあるレベルに線引きをして、ここに来れない奴は置いてゆくよ、というスピード感はあるものの、そうではない人たち、つまりついてこれない人たちへの気配りも行き届いていて、向上心に燃えたひとが読んでも、挫折したヘタレが読んでも共感できる内容になってます。

これを読むと、立川談志や談春みたいな人、その他のユニークな仲間など、身近にこんな人いるよネエと思い当たります。そして、クセモンばかりだけど、皆憎めない、こういう連中のことを六分の毒と四分の愛情をもってツッこむ身近な語り部も。AKB氏やTTS氏が、まさに『赤めだか』的語り部かなあと思うのですが、冷静に考えると単なる「ホゲ」という気もします。

途中昼寝を挟みながら、気がつけば夕刻。ビール1リットル、焼酎水割り5杯くらい飲んでいて、合間にポツポツ書いたこの文は、いつも以上にワケのわからない文章になっていいますね。。その間にケニー関連の音楽(キャシー&ケニー井上/VOYAGE TO PARADISE、夕焼け楽団/ハワイ・チャンプルーなど)も聴き尽くしてしまったので、『フジランチ』をかけてみたら、これが心地よいんですよ。


フジランチ


ん?フジランチ、誰それ、と思ったあなた、当然な反応です。それは愚息がTOKIOで作ったユニット&アルバム・タイトルなんですから。

Amazonで買えるよ。いいアルバムだよ。

親馬鹿と笑わば笑え。







トウキョウ日記

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一週間遅れの連休を貰って、1泊2日で東京に行ってきました。
目的はふたつ。展覧会を見て、夜は目当ての居酒屋で息子と飲むことです。

展覧会は、東京六本木の国立新美術館で開催されていた「シュルレアリスム展」。震災による混乱の調整のため会期が一週間延長されたことで、かろうじて見に行くことができたのでした。

シュルレアリスム展ポスター

偏屈な芸術かぶれだったりした20歳の頃。最初の大学を中退し、それまで住んでいた横浜から、ひとりの友人もいない東京に移り住み、孤独の中で本を読み漁るなか、出合ったのが「シュルレアリスム」でした。夢、無意識、想像力など、それまでの既成芸術ではほぼ無視されていた心の部分を、もっとも素晴らしいものとして、それによって新たな美を創造してゆこうという運動が「シュルレアリスム」です。

まあ、当時どれほど理解していたかわかりませんが、上掲ポスターのキャッチコピーにもある、「いとしい想像力よ、私がお前の中でなにより愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ」とか「夢と現実という、一見まったく相容れない、二つの状態が、一種の絶対的現実、言うなれば、超現実のなかに解消する日がくることをわたした信じている」とか「きっぱり言おう。不可思議なものはつねに美しい。美しいものは不可思議なものをおいてほかにないとすら言えるだろう」(いずれもアンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言より)、というような断定的表現に、コロリとやられてしまったのですね。

あと、魅かれた原因として、シュルレアリスムは、理論は難解な言い回しだけど実践はとてもわかりやすい、というところにあると思います。初期のシュルレアリストたちが熱中した「甘美な死体」という絵画共同創作法はテレビ『笑っていいとも』でのゲームにそのまま使われていましたし、「デカルコマニー」「フロッタージュ」「コラージュ」というシュルレアリスム絵画三大技法は、現在では保育園などのお絵かきの時間に用いられているほどです。

つまり子供にでも楽しめるような遊びの要素がとても大きいのです。1920年代の先鋭的な若者たちが、真面目に遊び真剣にふざけていたのが「シュルレアリスム」だったとも言えます。え、違う?

シュルレアリスム/ブローネル

今回の展覧会の目玉作家の一人、ブローネルの作品。もう説明の必要なくオカシイでしょう?目玉で絵を描いてるんですから。

どれも楽しい作品ばかりだったけど、とりあえず2点ほど紹介します。

予想をはるかに超えて、不可思議な感動を受けたのが、マグリットの『赤いモデル』。

シュルレアリスム/マグリット

昔から親しんだ画集では、どうしても足指の絵が模様として描かれたブーツに見えたんですが、本物は、ブーツの先が人間の生足へと変化している感じが精緻に描き込まれていて、しばらく見とれてしまいました。


そして、私はこれを見たいために東京まで来たのだ! イブ・タンギー『岩の窓のある宮殿』。

シュルレアリスム/タンギー

この世のどこにも無いような空間に、この世のどこにも無いようなモノが置かれ絡み合い浮遊しています。これを見ていると、私の頭はあっちへトリップしていくような気がします。ああ麻薬的快感。トイレ休憩はさんで計30分ほどこの絵を見ていました。


というふうに、本当に幸福な時間を過ごした後、夕方は旧友を訪ねて震災後のようすや彼の意見などをいろいろ聞かせてもらいました。

そして、夜9時過ぎ、仕事を終えた息子と吉祥寺駅で待ち合わせ、急ぎ足で焼き鳥屋「いせや公園店」へ向かう。これが東京での第二の目的。この店は、敬愛する酔っ払いシンガー高田渡が通った店として有名で、是非ここで飲んでみたかったのよ。

タカダワタル的

この映画に「いせや」で機嫌よく酔っ払う在りし日の高田渡がいます。これで季節はずれのブレイクをして忙しくなったのが、死期を早めた原因となったんじゃないかと、複雑な気持になる映画です。
閉店40分前に店に着き、生ビールと焼き鳥、ギョーザなどで息子と乾杯。ああウマイ。

(などという記事を書こうとしてパソコンの前にいた、先ほど、2時間ほど前のことです。カミさんが大声で呼ぶので行ってみると、なんとテレビ番組『ぴったんこかんかん』で、「いせや公園店」で大杉蓮と安住アナが焼き鳥食ってるシーンをやってるじゃありませんか。いやあ、なんという偶然。)

というふうに、ほんとうにシアワセな時を過ごさせてもらったのですが、実は道中に、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』という小説を読んでいまして、翌日は時間があったのでかなり読み進みました。

カズオイシグロ/わたしを離さないで

この小説が、とてつもなく重く、美しく残酷で感動的な作品で、もう楽しかった前日の記憶など彼方に押し流されてしまいまして、暗く押しひしがれた気持になって、帰途に着いたのでした。

楽しい旅のあいまに、こんな小説を読んでしまって、良かったのやら、悪かったのやら。




プロフィール

Author:オジイ川端

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