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国分寺からカルフォルニアの青い空は見えなかった

Category : 1970年代/音楽
東京に行って時間ができると、時々思い出の場所を訪ねたりする。センチメンタル・ジャーニーというやつです。先日の上京の際には、宿を昔住んでいた国分寺にとり、ゆっくりと青春時代の思い出に浸りました。

国分寺には特別な思いがあります。それまで住んでいた横浜の新聞店の寮を出て、初めてほんとの独り暮らしを開始したのが国分寺だったというのが第一ですが、その他にも二つほどのささやかな理由があります。

ひとつは、愚息が独り暮らしを始めた街も、偶然、国分寺だったということです。それも、新聞店の寮を出て国分寺へというルートまで同じ。私の真似をしているのかと思い訊いてみると、私が昔国分寺に住んでいたことなど知らなかった、とのこと。広大な東京の、ほんっとたくさんある街の中で、国分寺というマイナーなマチを、30年の時をまたいで親子が共に、自立の第一歩の地に選んだという、極私的で不思議な偶然が起きました。

もうひとつは、身内でもなんでもない、世界のムラカミさんにかかわる偶然。あの村上春樹のことです。といっても、彼が学生結婚してジャズ喫茶「ピーターキャット」を開いた街が国分寺だったというだけのことなのですが、引っ越してきたのが、ちょうど私と同じ73年らしいとなれば、村上ファンとしてはタマラナイ話じゃございませんか(開店は翌74年とのこと)。
私は当時、カッコつけてジャズ喫茶巡りなどをしていたので、その頃地元の「ピーターキャット」の存在に気づいていたら必ず聴きに行ったはずです。店のあった近辺には何度か足を運んだことがあったのですが、目立たないビルの地下にあったというその店には、ついに気付かずじまいでした。作家デビュー前の村上春樹に会ったことがあるという、凄い体験をした人間に、あと一歩のところでなり損ねた不運な私なのでした。まあそんなこと、当時は知る由もないのですが。

ムラカミショックよりははるかにランクが落ちますが、オマケとしてもうひとつ。国分寺駅からピーターキャットに向かう途中に国分寺書店という古本屋がありました。この店のほうには時々カオを出していたのですが、数年後に椎名誠のデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』で有名になります。描かれているのは実際の国分寺書店とはあまり重ならないフィクションのようですが。


そんな私的歴史の詰まった国分寺の街を、雨の中歩いてきました。アパートを仲介してもらった不動産屋さんや通っていた散髪屋さんは、代替わりはしているでしょうがまだ営業しています。銭湯はサウナとコインランドリーに商売替えか。と歩いていくと、あれっ、ない。住んでいたアパートのあった場所が駐車場になっていました。5年前に来たときにはマンションとして残っていたのに。駐車場の名前がアパートと同じ名前なので、持主は変わってないのでしょうが、建物がなくなったのは残念だなあ。しかたないか、東京で40年も昔の面影を保つというのは無理だもんね。

そうそう、忘れるところでしたが、アパートの前の狭い道路は、確かあの有名な「三億円事件」の逃走経路となったと思われる道なのでした。アパート前の道路を1kmほど西へ行くと武蔵国分寺史跡がありますが、盗まれた現金輸送車がそこに乗り捨てられていたのでした。私が引っ越してくる5年ほど前のことです。

前々回の日記にも書きましたが、この頃はほんとに孤独でした。まだ知り合いもいなくて、バイトにありつけない期間は部屋にこもって本ばかり読んでいました。あるときふと歌をハミングすると、自分が声を出したのが3日ぶりだということにハッと気付き、その瞬間に孤独が身に沁みたりしました。尾崎放哉の句(「咳をしても一人」)の心境ですね。

そのとき何をハミングしたか覚えていませんが、たぶんこのような曲だったんではと思います。


カルフォルニアの青い空/Aハモンド

うつろな愛/カーリーサイモン


アルバート・ハモンド『カルフォルニアの青い空』とカーリー・サイモン『うつろな愛』。当時ラジオからよく流れていたこの2曲がとても気に入り、これらがかかるとトランジスタラジオのスピーカーを耳にピッタリくっつけて聴き入ったものです(こうするとステレオで聴いているように迫力ある音になるのです)。音楽を聴く機器はトランジスタラジオしか持っていませんでした。

私の中ではこの2曲がずっとセットになっています。ヒットしたのが同時期で、曲調もとてもよく似ていました。どちらも当時の代表的な爽やかなウェスト・コースト・サウンドで、孤独な魂を癒し元気づけてくれるように感じたものです。歌詞の内容はそんな元気づけるようなもんじゃないみたいですが、英語が解らないから気になりませんでした。

この日記を書くために訳詞を読んでみたら、『うつろな愛』は、「あんたは、釣った魚にはエサをやらない男なのね」みたいなモテ男への恨み節で、想定内の内容でしたが、『カルフォルニアの青い空』のほうは、抱いていたイメージとは異なった歌詞で、それが当時の私の生活と重なるところのある身につまされる内容だったのには、ちょっと驚きました。

 ♪仕事にあぶれて, 気が変になって,
  自尊心もなくなって, 食いっぱぐれて,
  愛され度ゼロ。 満腹度ゼロ。 家に帰りたいよ。
  南カリフォルニアでは雨が降らない。
  でも, ねえ君, 注意しなくちゃね
  降ったら土砂降り そうさ 土砂降りなんだ。

  故郷の両親にはボクはもうちょっとで成功するとこだったて言ってくれないか。
  いろいろ話はあったけどどれに乗ったらいいかわからなかったんだ。
  両親には言わないでくれないか,ボクがどんな様子だったかは。
  勘弁してくれよ 頼むよ。

  (訳詩は『なつメロ英語』サイトより転載させていただきました。 訳:HideS)

ね、セツナイ歌詞でしょう。両親には自分の暮らしを知られたくないというところなどにウナヅク人は多いんじゃないでしょうか。

そんなこんなで、暮らしたのは、わずか2年でしたが、年が経つにつれ、私にとってその存在が大きくなってゆく不思議な街、それが国分寺なのです。私の在住期間を超え7年ほど国分寺周辺に住んでいる愚息は、遠い将来どんなふうにこの街を思い出すだろう。そんなことをふと思う、まさにセンチメンタル・ジャーニーでした。


追記:この日記に掲載するレコードジャケットは、原則として、自分が買ったり借りたりして、手に取ったことのあるものに限っているのですが、この当時はレコードプレイヤーを所有していなかったので、上記2枚のレコードに限っては手に取ったことがありません。カーリー・サイモンのは胸のポチッがオトコどものあいだで随分話題になっていたことを、後に知りました。
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その夜は、テレビの前で息をつめて身構えていた

Category : 1960年代/音楽
中学3年生(1966年)時の音楽生活で、いちばん大きなイベントといえば、やはりビートルズの来日でした。芸能・スポーツなどのジャンルを越えて、広く大きな関心を集めることを「社会現象」化する言い慣わしますが、昭和元禄と呼ばれた60年代で、毀誉褒貶入り乱れた、まさに最大の社会現象となったのが、ビートルズの来日だったのではないでしょうか。

私が住む片田舎の書店にさえ、たくさんのビートルズ特集雑誌が並びました。音楽専門誌がそれほどなかった時代なので、新聞・文芸系出版社のものが多かったように記憶しています。私は『週刊読売』の来日記念増刊号を買いました。ビートルズの写真に添えられた寺山修司の詩のなかに、彼等の歌が「オペラ歌手の喉を切り裂いて」生まれてきた、という箇所があり、新しい時代の到来を示唆する鮮烈な表現として強い印象を受けました。

そして7月1日夜、ついに前日の武道館でのビートルズ公演がテレビ放映されました。

ビートルズ来日

その時、テレビの前に他に誰が座っていたか、小学校高学年だった上の妹は間違いなくいたな、親と低学年の下の妹と保育園児の弟はどうだったか覚えてないけど、とにかく全員に、ぜったいに声を出さないよう命じて、番組が始まるのを、まさに固唾を呑んで待ちました。
なぜかというと、そのとき我が家には、一般家庭にはまだ珍しかったテープレコーダーがあり、それにビートルズ公演を録音しようとしていたのです。ライン録音端子などありませんから、マイクをテレビの前に置き、他の音が入らないように、全員喋らず物音を立てずに座っていなければならなかったのです。

昔のテープレコーダー

おおよそ上掲写真のようなテープレコーダーでしたが、なぜこんな身分不相応なものがあったかというと、親戚のオジイサンさんが、たしか遺言録音用に買ったということで、たぶん私がねだったせいでしょうが、気前よく譲ってくれたからでした。

E.H.エリックの紹介で登場して、後ろ向いてギターのチューニングをしていたかと思うと、突然振り向いてジョンが『ロック・アンド・ロール・ミュージック』を歌いだします。なんというカッコよさ!
前座では、望月浩という青春歌手が、
  ♪ぼくのエレキは 君にしびれて ドキドキドキ とまらない~
なんて、今思うとアホな歌詞の歌を歌いましたが、もちろんそれは録音しませんでした(けっこう好きな曲ではありましたが)。

このテープは、その後何年にもわたって、ほんっとに愛聴し続けました。

翌67年には、史上初の全世界同時衛星中継番組というのがあり、イギリスからはビートルズによる『愛こそはすべて』の演奏が中継されることになっていました。もちろんこの番組も、録音の用意をして待っていたのですが、ビートルズの登場が夜遅くの時間だったため、不覚にも眠ってしまい、目を覚ましたら終わっていました。

新聞配達で早起きしていたため夜に弱かったわけですが、もう、その悔しかったことといったら、ホント夜も眠れないくらいでしたよ。

トウキョウ日記

Category : 未分類
一週間遅れの連休を貰って、1泊2日で東京に行ってきました。
目的はふたつ。展覧会を見て、夜は目当ての居酒屋で息子と飲むことです。

展覧会は、東京六本木の国立新美術館で開催されていた「シュルレアリスム展」。震災による混乱の調整のため会期が一週間延長されたことで、かろうじて見に行くことができたのでした。

シュルレアリスム展ポスター

偏屈な芸術かぶれだったりした20歳の頃。最初の大学を中退し、それまで住んでいた横浜から、ひとりの友人もいない東京に移り住み、孤独の中で本を読み漁るなか、出合ったのが「シュルレアリスム」でした。夢、無意識、想像力など、それまでの既成芸術ではほぼ無視されていた心の部分を、もっとも素晴らしいものとして、それによって新たな美を創造してゆこうという運動が「シュルレアリスム」です。

まあ、当時どれほど理解していたかわかりませんが、上掲ポスターのキャッチコピーにもある、「いとしい想像力よ、私がお前の中でなにより愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ」とか「夢と現実という、一見まったく相容れない、二つの状態が、一種の絶対的現実、言うなれば、超現実のなかに解消する日がくることをわたした信じている」とか「きっぱり言おう。不可思議なものはつねに美しい。美しいものは不可思議なものをおいてほかにないとすら言えるだろう」(いずれもアンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言より)、というような断定的表現に、コロリとやられてしまったのですね。

あと、魅かれた原因として、シュルレアリスムは、理論は難解な言い回しだけど実践はとてもわかりやすい、というところにあると思います。初期のシュルレアリストたちが熱中した「甘美な死体」という絵画共同創作法はテレビ『笑っていいとも』でのゲームにそのまま使われていましたし、「デカルコマニー」「フロッタージュ」「コラージュ」というシュルレアリスム絵画三大技法は、現在では保育園などのお絵かきの時間に用いられているほどです。

つまり子供にでも楽しめるような遊びの要素がとても大きいのです。1920年代の先鋭的な若者たちが、真面目に遊び真剣にふざけていたのが「シュルレアリスム」だったとも言えます。え、違う?

シュルレアリスム/ブローネル

今回の展覧会の目玉作家の一人、ブローネルの作品。もう説明の必要なくオカシイでしょう?目玉で絵を描いてるんですから。

どれも楽しい作品ばかりだったけど、とりあえず2点ほど紹介します。

予想をはるかに超えて、不可思議な感動を受けたのが、マグリットの『赤いモデル』。

シュルレアリスム/マグリット

昔から親しんだ画集では、どうしても足指の絵が模様として描かれたブーツに見えたんですが、本物は、ブーツの先が人間の生足へと変化している感じが精緻に描き込まれていて、しばらく見とれてしまいました。


そして、私はこれを見たいために東京まで来たのだ! イブ・タンギー『岩の窓のある宮殿』。

シュルレアリスム/タンギー

この世のどこにも無いような空間に、この世のどこにも無いようなモノが置かれ絡み合い浮遊しています。これを見ていると、私の頭はあっちへトリップしていくような気がします。ああ麻薬的快感。トイレ休憩はさんで計30分ほどこの絵を見ていました。


というふうに、本当に幸福な時間を過ごした後、夕方は旧友を訪ねて震災後のようすや彼の意見などをいろいろ聞かせてもらいました。

そして、夜9時過ぎ、仕事を終えた息子と吉祥寺駅で待ち合わせ、急ぎ足で焼き鳥屋「いせや公園店」へ向かう。これが東京での第二の目的。この店は、敬愛する酔っ払いシンガー高田渡が通った店として有名で、是非ここで飲んでみたかったのよ。

タカダワタル的

この映画に「いせや」で機嫌よく酔っ払う在りし日の高田渡がいます。これで季節はずれのブレイクをして忙しくなったのが、死期を早めた原因となったんじゃないかと、複雑な気持になる映画です。
閉店40分前に店に着き、生ビールと焼き鳥、ギョーザなどで息子と乾杯。ああウマイ。

(などという記事を書こうとしてパソコンの前にいた、先ほど、2時間ほど前のことです。カミさんが大声で呼ぶので行ってみると、なんとテレビ番組『ぴったんこかんかん』で、「いせや公園店」で大杉蓮と安住アナが焼き鳥食ってるシーンをやってるじゃありませんか。いやあ、なんという偶然。)

というふうに、ほんとうにシアワセな時を過ごさせてもらったのですが、実は道中に、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』という小説を読んでいまして、翌日は時間があったのでかなり読み進みました。

カズオイシグロ/わたしを離さないで

この小説が、とてつもなく重く、美しく残酷で感動的な作品で、もう楽しかった前日の記憶など彼方に押し流されてしまいまして、暗く押しひしがれた気持になって、帰途に着いたのでした。

楽しい旅のあいまに、こんな小説を読んでしまって、良かったのやら、悪かったのやら。




『いちご白書』のキム・ダーービーにどれくらいの若者が惚れただろう

Category : 1970年代/映画
『アクロス・ザ・ユニバース』を紹介したら、『いちご白書』という映画のことを書きたくなりました。というのも『アクロス―』の中に『いちご白書』へのオマージュ(過去の名作に尊敬の意味をこめて、敢えて部分的に演出・表現を似せる技法)のシーンがあるからなのです。お若い方にはどうでもよござんしょうが、私にはそのことが重要かつ意義深いことなんですね。

いちご白書ポスター

この映画は、1970年の公開当時に観ました。私は18歳、横浜で新聞配達店に住み込み大学に通い始めたばかりでした。いわゆる大学紛争は、6月の日米安保条約の自動延長により沈滞化しつつあったとはいえ、まだあちこちで燻り続けていました。「反権力」は、まだ時代のトレンドであり、それに乗りきれない自分に焦りを覚えたりしていた頃だったような気がします。これは私だけではなく多くの若者が共有していた、妙な後ろめたさを伴った感覚だったと思います。そんな気分にまど真ん中な映画として『いちご白書』が現われたのです。

ニューヨーク・マンハッタンにある名門コロンビア大学の学生サイモン(主題歌『サークル・ゲーム』に乗ってサイモンの日常描写)。大学による公園敷地買収問題を発端に学生と経営側が対立し、買収に抗議する学生側は大学建物を占拠しバリケード封鎖していた。お気楽なノンポリ体育会系のサイモンは、その様子見に行き、バリケードの内側に可愛い女子学生を見かける。興味をひかれた彼は、バリケードの中へ入り、泊まり込み抗議行動に参加するふりをする。そこで割り振られた食糧調達係のパートナーが、最前見かけた女子学生リンダだった。紆余曲折を経ながら二人の仲は深まり、活動にも熱心になるが、大学側は警官隊を導入し、建物を占拠している学生の強制排除を図ることになる。やがて警官隊が突入して催涙ガスを撒き、抵抗する学生を屋外へ引きずり出す。抵抗したリンダは警棒で頭を殴られて血を流す。それを見たサイモンは、叫びながら警官を振り払い、リンダのほうへダイブする―。(再び主題歌『サークルゲーム』)

今回もまた、すごく大雑把な粗筋紹介やねえ。「紆余曲折を経ながら」って、その紆余曲折の中身こそがストーリーでしょうが。すみません。

でも、私の中では、リンダ役のキム・ダービーと、主題歌を始めとするウッドストック・ジェネレーションの音楽が、この映画の印象の大部分を占めているんですよねえ。まさにサイモン的なお気楽さ。

あと、サイモン役ブルース・デービンソンのファッションに影響されました。ほどよい長髪にメタルフレームのメガネ、カーキ色のアーミーっぽいジャケットにジーンズとスニーカー。映画観た後にすぐ野毛町(今は知らないけど、当時は東京アメ横みたいに米軍関係の古着などを扱う店が集まっていました)で、自衛隊放出品のジャケットを買い、サイモンの服装を真似ました。まあ、私が着ると佐藤蛾次郎みたいになったんですがね。ほっといてや。

ちなみに、そのとき買った自衛隊ジャケットは、40年経った現在でも現役で着てます。軍隊服は丈夫にできてますよねえ。

いちご白書2

     いちご白書1

(写真はブログ『超個人的中年映画劇場』より拝借)
とにかく、キム・ダービーは可愛かった。彼女はこの映画と前作『勇気ある追跡』の2本しかめぼしい出演作がない、ほとんど一発屋のような女優でしたが、そのことが余計刹那的な輝きを放つのですねえ。

ところが―。『勇気ある追跡』のリメイク作品『トゥルー・グリット』が今年公開され、その関連で当時の彼女の写真などをちょくちょく見かけるようになっていたんですが、そのなかに、少女主人公マティ役の新旧女優対面みたいなプロモ企画なのか、なんと、14歳のヘイリー・スタインフェルドと63歳のキム・ダービーが並んでいる写真を見つけてしまい、けっこうショックを受けた私でした。
そりゃアラカンの私より4歳年長だからバアさんになってて当然なんですけど、息の長い女優ならコンスタントに情報が入ってくるので、少女から大人の女性に成長し中年になってという過程を自然に受容できるところを、彼女の場合、途中がなくていきなりバアさんとして現れるんですから・・・。まあ、可愛いバアさんになってはいましたが。


音楽では、映画の冒頭とラストで歌われる『サークル・ゲーム』。ネイティブ・アメリカンの歌手バフィー・セントメリーの自然ビブラートのかかった声と、人生を回転木馬に例えた歌詞が素敵でした。

いちご白書/サークルゲーム


   And the seasons, they go round and round
   And the painted ponies go up and down
   We're captive on the carousel of time
   We can't return, we can only look
   Behind from where we came
   And go round and round and round
   In the circle game
   
   そして季節は 巡り また巡り
   ペンキ塗りの子馬が 上下して
   私たちは 時という回転木馬の虜
   帰ることはできず 来た道をただ振り返るのみ
   巡り巡る円環のゲームのなかで

   (ジョニ・ミッチェル作詞作曲)


あと、ニール・ヤングの『ヘルプレス』が流れるシーンも心に沁みました。当時は最新のロック・ミュージックを映画に効果的に挿入する手法が流行した時代でもありました。

こうして1970年の私は、『いちご白書』にかなりハマっていたのですが、それが私だけじゃなかったことを確認できたのは、数年後に『いちご白書をもう一度』という歌が大ヒットしたからでありました。
私は、歌と違って映画は一人で観に行き、格好は真似てもリンダのようなガールフレンドは現れなかったのは勿論のことです。

おっと、また忘れるところでした。冒頭で触れた『アクロス・ザ・ユニバース』の中の『いちご白書』へのオマージュ(と思われるところ)は、警官隊に蹂躙されながら女の子の名を叫ぶシーンです。

それから、興味をもたれてこの映画のことをネットで調べてみようというあなたへ。たんに「いちご白書」で検索すると、エッチなDVDの画像が沢山出てきますのでご注意を。それがウレシイ人はいいんですが、そうでない人は題名の前に「映画」と付け加えてくださいね。

それでは、前回に続きYouTubeのダイジェスト版をどうぞ。海外モノなので字幕がありませんが。


G.W.だからビートルズ関連の映画でも観よう。

Category : 2000年代/映画
前回の続きで、ビートルズ体験1966年編を書く予定でしたが、ゴールデンウィークなので、おすすめ映画の話でもしたくなりました。といっても私はGW期間中はほとんど仕事なんですが、まあ気分だけでも連休モードで。紹介するのは、ビートルズの曲だけで構成された2008年のミュージカル映画『アクロス・ザ・ユニヴァース』。

across-dvdpac.jpg

ストーリーは―。

1960年代のこと、リバプールの造船所で働く青年ジュードは、まだ見ぬ父に会い、自分の存在理由を確かめようとアメリカへ旅立つ。捜し当てた父が用務員を務める大学で、同年代の大学生マックスと出会い意気投合する。マックスもまた自分の生き方を見つけられず苛立っていた。二人は何かを見つけようとニューヨークへ行き、場末のロック・シンガーであるセディのアパートに間借りする。そこへ、それぞれに心の傷を持った若者たちが集まってくる。マックスの妹であり恋人をベトナム戦争で亡くしたルーシー。暴動の騒乱で弟を亡くした黒人ギタリストのジョジョ。失恋した東洋系女性プルーデンス。ジュードとルーシーは恋に落ちるが、ベトナム戦争は激化し、彼らの状況も変転してゆく・・・。

と、おおざっぱに紹介しちゃいましたが、なんせミュージカル映画ですので、ストーリーは単純明快なんです。

私にはどこをとっても素晴らしい映画ですが、ビートルズの曲が、まるでこの作品のために書かれたオリジナル曲のように、うまくストーリーに組み込まれていることにまず感心してしまいます。
『アイ・アム・サム』もビートルズ・ソングが重要な役割を果たす素敵な映画ですが、あちらは物語の性質上、ビートルズ好きの主人公を引き立てるBGMの域を出ることができません。
しかし、こちらはビートルズの歌を骨格にして創られたミュージカルです。お気づきのように登場人物は皆ビートルズの歌に出てくる名前を持っていますし、彼らはビートルズの歌のイメージ世界を生きているのです。このアイデアが秀逸。

荒涼としたリバプールの海岸に佇むジュードが、憂いを含んだ声で『GIRAL』を歌うところから映画は始まります。この歌詞がきれいにイントロダクションとなっていて、いっきに物語世界に引き込まれます。

  ♪誰か僕の話を聞いてくれない?
   心に住みついた女の子の話
   思い焦がれるあまりつらくなっても
   後悔する日は一日もない
   そう、あの娘のことさ  (字幕より)

そして、歌とともに展開する映像のイリュージョンがすごい。

いちばんのお気に入りは、『I WANT YOU』に乗って行われるマックスの徴兵検査の場面。検査場のロビーに着くと、貼ってある兵士募集のポスターのなかのアンクル・サムがいきなり動き出して「I want you」とマックスを指さす。お前を兵隊に欲しい、となるわけですね。検査場ではベルトコンベアに乗せられ、機械に衣服を剥ぎ取られ、オートマチックに身体検査が行われる。ロボットのように同じ顔をした検査係の軍人たちによる不気味なダンス。「She's so heavy」という歌詞のところでは、パンツ一丁の受検者たちが自由の女神像を担いでジャングルを行進させられる圧倒的な苦役のイリュージョン。そりゃ、ヘビーだろう。ちょっと笑えて、怖く、軽くて、深い。よくこんなシーンを考え付き、そして考えただけに終わらせず映像化できるもんだ。

あと、素晴らしいのは『Strawberry Fields Forever』の場面。ルーシーと仲たがいしたマックスが、部屋で鬱屈した気持をぶちまける。キャンバスにイチゴをピンで留め、イチゴからは血のような果汁が滴ったかと思うと、そのイチゴは爆弾となって空から降り注ぎ破裂する。

ああ、なんて奔放な想像力。MTVなどによって鍛えられたクリエイティブな映像の最高のカタチがここにあります。それだけじゃない、ポイントを押さえて再現された当時の社会風俗などの的確な描写が、またいいんです。
ああ、貧弱な文章力がもどかしいなあ。ひとり酔っ払って興奮して書いてるから、支離滅裂で、読んでる人にはどんな映画かちっとも解からないだろうね。もうこれは観て感じてもらうしかないがですちや(突然土佐弁)。
ということで、やらないことに決めていたYouTubeへのリンクを貼ってしまいます。予告編ですけど。



どうです。面白そうでしょう?

こんないい映画は、当然シネコンなんかでは上映されなくて、私は映画鑑賞サークルによる自主上映で観ることができたのでした。有難いことです。その際、入れ替え制にも関わらずこっそり2回観て、その後すぐDVDを買って10回近く観たでしょうか。

俳優では、なんといってもルーシー役のエヴァン・レイチェル・ウッドがいいですね。清楚で美しくて、スケベなオジサン向けのサービスシーンもちゃんとやってくれてるし。

across-ルーシー

ラスト、クライマックスのルーフトップコンサートもカッコいいですね。

across-rooftop.jpg

地下鉄の駅でホームレスのジイサンが『COME TOGETHER』を歌い始めたら、そのジイサンはジョー・コッカーだったり、U2のボノが出てたり、いろんなクスグリもてんこ盛りです。

さあ、みんなもゴールデンウィークの休日は、ツタヤで借りたりして(あるかどうか知らないけど)、この名作を楽しんでください。え、もう休みは終わりでしたっけ? それは残念。

洋楽事始は、やはりビートルズだった

Category : 1960年代/音楽
ビートルズの名前を初めて聞いたのは、1964年4月に中学生になって何カ月か過ぎた頃でした。

「ビートルズゆーグループが流行りゆーらしいで。♪イエー ユー タカションベン、ゆーてラジオでかかりよった」という、いま思えばなんともマヌケな情報を小耳にはさんだのが最初でした。海の彼方のアメリカでは4月4日付全米チャートで、ビートルズが1位―5位独占という人気爆発を起こしていて、日本にもその振動が伝わってきていたのでしょう。しかし未開地の少年は、まだ青春歌謡ばっかり聴いていた頃なので、「鷹ションベン? 変な歌やねや」と感じただけで、もちろん聴いてみようとは思いませんでした。

中2になって、Y君という露天商の元締めの息子と仲良くなり、家へよく遊びに行きました。彼はステレオを持っていました。ステレオといえば、音楽の時間に講堂で、汽車の音のレコードを聴かされたことくらいしかなくて、ほんまに目の前を汽車が移動しよるみたいなねえ、すごい!なんて感動してた原始的時代ですから、それは高価で希少なモノでした。

昔のステレオ

当時のステレオと言えばこんなふうな豪華な家具調のヤツ(写真はササキジンさんという方のブログから拝借)。そのステレオで、Y君がビートルズの「ロック・アンド・ロール・ミュージック」をかけてくれたのでした。それが最初にちゃんと聴いたビートルズ。短いイントロからいきなり始まる歌が、ステレオからでっかい音で飛び出てきて、それは驚きました。なんとかっこええ歌ながぜ! ステレオで聴く音楽はなんてシビレルがぜ!

電蓄

私のウチでは、写真のような感じの電蓄しかなくて、その内蔵スピーカーの音があまりにショボイので使い古しのラジオに繋げて聴いていましたが、ステレオでビートルズを聞いてしまったものですから、もうアキマセン。父親に懇願して、新聞配達で貯めた金の足りない分を補ってもらい、さっそくステレオを買いました。そして、初のビートルズのレコードも。

help_the beatles

買ったのは、その時点での新譜の『HELP!/I'M DOWN』。
メインボーカルを追いかける軽快なコーラスがカッコ良い『ヘルプ』も気に入ったけど、物凄いシャウトの『アイム・ダウン』にシビレました。もう最後のほうなんかわめきちらしているだけで、こんな曲もありなんだということに驚きました。いま考えると、初めて買ったのが、たまたま、ビートルズの全曲を通じて一、二を争うシャウト・ソングだったわけですが、そのときは何も知りませんから、何と狂ったような連中やと思いましたよ。

それからは、後追いで(といってもビートルズのレコードが日本で発売されだしてから1年半しか経っていませんでしたが)、以前のレコードを買い集めました。旧譜を探すときは、地元のIレコード店に行きました。店主は、わが母校の校歌を作曲したアマ音楽家でもあったようですが、無愛想で恐い顔をした人で、店に入るのにも勇気がいりました。けど、探している古いレコードがあったりするので、重宝するお店でした。まあ、あまり商売気もなく品物の回転が悪かったのが幸いした?のでしょうね。このお店は、現在でも存在しています。ただし、販売はせず、博物館みたいに陳列しているだけということですが。

当時買っていたのは、もちろんシングル盤。LP盤(アルバム)はとても高価で、今の貨幣価値に換算すると15000~20000円くらいのはずですので、中学生には手が出ず、お店の壁面の高いとこに飾ってあるのを眺めるだけの、まさに高根の花でした。
ところがある時、父の友人が「ウチにビートルズのエルピーがあるで。ウチでは誰も聞かんき、おまん、聞くかよ」と貸してくれたのが、『MEET THE BEATLES』。日本におけるビートルズのファーストアルバムでした。

ミートザビートルズ2

これを2年間くらい借りっぱなし、ほんとうに擦り切れるくらい聴き倒しました(写真はBEATLES-1ブログより拝借)。
周知のようにこのアルバムは、本国イギリスでのオリジナルファーストアルバム『Please Please Me』とセカンドの『WITH THE BEATLES』の2枚のアルバムからの抜粋と、シングル大ヒット曲『 抱きしめたい(I WANT TO HOLD YOUR HAND) 』『シー・ラブズ・ユー( SHE LOVES YOU)』を収録した初期のベストアルバムのような構成で、ジャケット写真はセカンドのものを使ってました。なんてことは、私を含め当時の日本人はまったく知らなかったわけで、『MEET THE BEATLES』から漏れた上記2アルバムの収録曲は、それから10年経って日本でようやく初期オリジナルアルバムが発売されるまで、ほとんどの人が聞いたことがなかったのではないでしょうか。
天下のビートルズといえども、当時はそんな扱いだったのですね。

おっと、忘れるところでした。冒頭の「タカションベン」が出てくる曲は、もちろん『抱きしめたい』です。サビに続いての「Yeah, you got that something」のところが、たしかにそのように聞こえなくもないですね。

眠くなったので本日は終わりますが、ビートルズの話は次回も続けます。
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オジイ川端

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