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憂歌団が似合う、というのはいいことなんだろうか

Category : 1970年代/音楽
昨日(6月25日)、地元で開催した音楽イベントに、バンドで出演しました。このイベントにこのバンドで出演するのは、6~7年ぶりくらいでしょうか、本当に久しぶりのことです。

susumunightのガッチョ


このバンド「G」は、憂歌団のコピーバンドで、本家憂歌団の解散直後の1998年に結成され、私は翌年メンバーになりました。

たしかその頃は、人生も後半になって思うに、何かやり残したことがあるような気がするゾ、何だろう、なんて自問していた時期で、思い当たったのが「ずっと日の当たらなかった人生。一度くらいは人前で演奏して注目を浴びてみたかった」ということでした。音楽の現場が好きで、自分たちで音楽イベントを運営したりしていましたが、専ら裏方スタッフとしてであり、楽器も弾けないに等しいし、すごいアガリ性だし、演奏者としてステージに立ったことはありませんでした。でも演奏するバンド連中を世話しながら、自分もアッチ側になれたらシヤワセやろなあ、と思っていたのですね。

そんな、なにか「悔いを残したままでは死ネナイ団塊世代老境生きがい探しドラマ」的な気分になっているとき、当時2人組だった「G」が、私たちの主催する音楽イベントに出演することになりました。そこで一大決心をして、一緒に演奏させてくれないかと頼んだのでした。

20代のころ、カセットデッキによる独り多重録音で憂歌団の曲を何曲か録音したことがあったので、練習すれば、それらの曲なら何とかやれるんじゃないか、思ったのですね。

選んだ曲は、ファーストアルバム『憂歌団』の1曲目「嫌んなった」と、セカンドアルバム『セコンドハンド』の1曲目「ハワイアンムード」でした。

憂歌団ファースト


憂歌団セコンドハンド


1975年の憂歌団の登場は、ほんと衝撃的でした。木村秀勝(後の充輝)の黒く重いけどコミカルな明るさも兼ね備えた圧倒的ボーカル。内田勘太郎のゴリゴリと荒削りなスライド・ギターやジャズっぽいコードワーク、一聴しただけで彼とわかる独特で超絶的なフレージング。花岡健治のずっしりとしたフォービートのウォーキングベース。島田和夫のドライブしたブラシさばき。もう、音ゴコロを鷲摑みされましたがな。

上記2枚のアルバムは、同時期に制作された、有山淳司&上田正樹の『ぼちぼちいこか』と並んで、私の中では不動で不滅の名盤です。捨て曲なしの全曲名曲なんです。
世間的には、ノヴェルティソング的な『おそうじオバチャン』が放送禁止となるなど少し話題を呼びましたが、その他の曲がまたいいんです。ブルースの世界への日本人的オマージュというか、まったくツイテない、モテない、カネない、サエない人たちについての歌ばかり。貧しい南部黒人の心境になりきりの沖てるお、尾関真による歌詞が冴えまくりです。

  ♪シカゴに来て 二年がたった
   だけどいい事ありゃしねエ
   メンフィスから汽車に乗って
   やって来たけれど
   他の奴らは うまいことやってるけど
   この俺だけが落ちぶれちゃった
   街のかたすみで 小さくなって
   ひとり暮らしてる
             (シカゴ・バウンド/尾関真)

  ♪こんな時にも あいつの事を思い出すなんて
   腹がへって 眠れねえのに 思い出すなんて
   俺の生涯 抱いた女は
   田舎に残した カカア一人
   たくわんみてえな 田舎の女
   カカア一人だけ
             (たくわん/沖てる夫)

んー、なんて浮かぶ瀬のない人生なんだ。もースゴク共感できますとも! 既に20歳代半ばでブルース的人生を歩み始めていた私は、憂歌団を聴いた途端、「これは俺のウタや」と思ったのでした。

それが、20数年後の憂歌団コピーバンド「G」につながるわけです。このバンドに参加したおかげで、メンバーを通して、あるいはライブの場で、様々な人と知り合い、世界を広げることができました。

でも、実はこのバンドで一つ引っ掛かっていることがあるのですね。それは私以外のメンバーが全員公務員だということなんです。バンドやるのにどんな仕事していようが勝手なんですが、憂歌団のブルースと公務員という安定した職業はあまり相性がよくないような気がしますヨ。手前味噌ながら、憂歌団の曲を私が歌うとブルージーで迫真力があると言われるがですよ、フフフ。そうであるとすれば、それはヒトエに、私の人生が(他のメンバーと比較して)ブルースに近い、というコトに拠っているんだと思います。安定した老後など自分にはあり得ない!という現実を噛みしめながら歌うと、自然にブルースが表現できちゃうんですぅー、ヤッホー! ………。


ところで、今回のテーマを決めた時、75年当時に自室で撮った自分のスナップ写真の背後に憂歌団のファーストアルバムが映っているのがあったことを思い出して、久しぶりにフォトアルバムを引っ張り出してきました。

そしたら!

憂歌団ジャケとオレ

なんと、ジャケットの絵柄が消えて「ホワイトアルバム」みたいになっているではあーりませんか(ここもチャーリー浜調で)。思わず、「仁-JIN-」(今夜最終回でした)かっ!「バック・ツー・ザ・フューチャー」かっ!とツッコミを入れてしまいました。このことはいったいナニを象徴しているのでせうか。憂歌団ブルース的人生を脱して、明るい老後が待っているというコトなのでしょうか。それはナイわな。

(映っている長髪の若者は、ホントに私ですってば。)




P.S. 昨日6月25日は、先月20日の日記でチラッとふれた、人類史上初のテレビ世界同時中継番組「アワ・ワールド」が44年前に放映された日でもありました。ビートルズが「愛こそはすべて」を歌うのを、世界中の推定3億5千万人が同時に見たそうです。私は寝てしまって見てないけど。あれは、こんな蒸し暑い夜だったんだな。アナログ放送の終焉を1ヵ月後に控え、感慨深いモンがありますね。

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雨が空から降れば、畳の下から……。

Category : 1970年代/音楽
少し肌寒くてしとしと細かい雨が降り続く、梅雨の半ば特有の天候が続いています。今日6月16日は、若い頃に仕入れた情報では、確か一年中で一番雨天率が高い日だったはずです。その頃から40年経過してますから、現在の統計では別の日になってるかもしれませんが。なぜそんなことを覚えているかというと、東京放浪時代は、アパートの契約時期の関係か、引越しする時期が決まって6月だったんですね。ある年の引越しが6月16日で、その日も雨。苦労して引越しを終えテレビをつけると、ニュースで「今日は、雨が降る確率が1年中でいちばん高い日です」なんてやってました。今でも覚えているということは、よりによってそんな日に引っ越したことがよほど印象的だったのでしょうねえ。

東京で最初に暮らした国分寺から引っ越した先は、葛飾区の新小岩というところです。位置的にも地形的にも文化歴史的にも国分寺とは正反対の土地でした。典型的な下町、庶民のマチで、ごみごみとして人は多いのですが、雰囲気は私の育った田舎と同じで、どこか落ち着けそうなマチでした。なぜ新小岩にしたかというと、大学の夜間部に入学して、やっと出来たサークル仲間たちがこの方面に住んでいたからという理由だけですが。国分寺での孤独な暮らしから抜け出て、これからは楽しく暮らせそうだなあ、なんて思っていました。ところが……。

引っ越して間もないある夜、寝ていると、枕の下でカサカサという音が。灯りをつけて枕をめくるとゴキブリが走り出てきました。周りに目をやると、畳や壁などにさらに数匹のゴキブリが! 国分寺ではもちろん、南国といわれるわが故郷でも一度にこんな数のゴキブリを目にしたことはありません。さらに数日後の夜、ふと気づくと畳の合わせ目からお尻にハサミのある小さな虫が1匹這い出してきたかと思うと、次から次へと兵隊さんの行進の要領で何十匹と出てくるではあーりませんか(少し古いですがチャーリー浜調で)。

その時見たハサミムシを調べて画像をアップしようと思いましたが、ドッとひっかかってきた画像を見て当時を思い出しあまりのオゾマシさに断念。代わりにその瞬間の心境を。

    叫び

後から聞いたところでは、アパートが建っていた場所は湿地帯を埋め立てた土地で湿気が多く、虫たちのパラダイスだったんですねえ。えらいところに引っ越してきたなと思いましたが、後の祭り。もう開き直って、この環境を楽しんじゃお、とコロしたゴキブリ数を「正」のカタチで記録しますと、アッという間に正の字が20を超えました、イエーイ!

そんな環境の中で買ったレコード(ようやくレコードプレイヤーも保有できてました)がコレ。小室等のファーストアルバム「私は月には行かないだろう」。

私は月には/小室等

このアルバムの最初に収録されている「雨が空から降れば」を聴きたくて買ったのでした。当時この曲は発表後数年しか経っていませんでしたが、ラジオなどで耳にする不思議と良い曲だけど諸事情からレコードはなかなか手に入らない、という、あの頃にはよくあった「幻の名曲」でした。その後、いつ頃からかは知りませんが、NHKの「みんなの歌」に入って、今では、梅雨時の定番曲となっていますね。

作詞は別役実。当時の新進気鋭の前衛劇作家だった彼らしく、シュールな歌詞が斬新でした。

  ♪雨が空から降れば 想い出は地面にしみこむ
   雨がシトシト振れば 想い出はシトシトにじむ
   黒いコーモリ傘をさして 街を歩けば
   あの街は雨の中 この街も雨の中
   電信柱もポストも故郷も雨の中
   しょうがない 雨の日はしょうがない
   公園のベンチで一人 おさかなをつれば
   おさかなも又 雨の中

いやあ、いい詞ですねえ。でも現実の梅雨時の新小岩生活といったら……。この落差のせいで忘れがたい曲であります。この時期になると聴きたくなって、真っ白だったジャケットがすっかり黄色くなったこのアルバムを棚から引っ張り出すのです。

ところで、ごく最近知ったことですが、この別役実さんは、私の音楽仲間であるY兄妹の叔父さんだったんですねえ。ネットで調べると、この家系は寺田寅彦や安岡章太郎にも繋がっている。どーゆー一族なんだ、Y兄妹。

ボーイズ・ライフのヒーローはマックィーンだった

Category : 1960年代/映画
仕事オフ日だった先だっての平日。昼間にNHK-BSで、中学生の頃観たスティーブ・マックィーン主演の映画『シンシナティ・キッド』が放映されていて、韓流ドラマのほうを観たいカミさんとのバトルをかろうじて制して、観ることができました。懐かしすぎる。60年代の少年にとって、洋画の最大のヒーローだったマックィーン。

    マックィーン/大脱走 マックィーン/大脱走2

『大脱走』における、オートバイを駆ってナチスの追跡から逃げる永遠の名シーンの迫力といったら。バリケードをジャンプして越える場面をスタントなしでこなすマックィーンのカッコ良さに、ガキどもは皆シビレました。このシーンを見て影響され、「カミナリ族」(集団でバイクをトバす若者たちをこう呼んでいました。後の暴走族ほど反社会性はなかったと思われます)になった若者が何百人、何千人いたことか。大げさですが。


シンシナティ・キッド



さて、『シンシナティ・キッド』は、そんなアクション・スターとして売り出し中だっだマックィーンが、アクションシーンがほとんどない地味な役柄を演じたため、評価が別れた映画だったようです。華麗なアクションを期待したファンには不評だった一方、静的な心理表現などに挑戦し演技派として成長した点を評価する意見もあったということです。

1930~40年代(?)のニューオリンズの街路、セカンド・ライン(音楽を陽気に演奏し踊り行進するニューオリンズ特有の葬列)のシーンから映画は始まります。この映画を初めて観た中学生の頃には、このシブすぎるシーンはさすがに理解できなかったらしく、まったく記憶に残っていませんでしたが、ニューオリンズ音楽好きのオジイになった今観ると、この冒頭シーンは雰囲気ありすぎて感動もんです。
通りを歩くシンシナティ・キッド(マックィーン)に黒人の少年が、コイン投げ勝負を挑みます。軽く少年を負かしたキッドは、「俺に勝とうなんて10年早いぜ。もっと腕を磨いてきな」なんて言います。キッドは新進気鋭、売り出し中のギャンブラーなのでした。
若く自信過剰で挫折を知らないキッドは、業界の第一人者として君臨するハワード(E.G.ロビンソン)がニューオリンズに来ることを聞き、彼にスタッド・ポーカーで挑戦します。仮眠中に先輩賭博師の奥さん(アン・マーグレット、色気ありすぎ~)に誘惑され、間が悪いことにその現場で恋人クリスチャン(チューズデイ・ウェルド)と鉢合わせして彼女に去られてしまう、なんてエピソードをはさみつつ、何昼夜にも亘ってゲームが続いた末、最後の大勝負に出たキッドはハワードに惨敗してしまいます。
賭博師としての威信を失墜し、5千ドルの借金を背負い、恋人にも去られたキッドは、呆然として通りへさ迷い出ます。そこへ、冒頭の少年が現れキッドに再びコイン投げ勝負を挑みます。意気消沈のキッドは少年にも敗れてしまいます。そこで少年が、以前キッドに言われた言葉「俺に勝とうなんて10年早いぜ。もっと腕を磨いてきな」をそのまま返すというオチが効いています。
まさに泣きっ面に蜂状態でトボトボ歩き始めたキッドの前に、去ったはずのクリスチャンが思いがけず現れ、二人は固く抱き合うのでした。めでたし、めでたし。

いつものことながら、なんてヒドイ粗筋紹介なんだ。

この映画のマックィーンは、日本でいえば高倉健のような、寡黙でストイックな賭博師という役柄(でも下半身は別人格)。すぐ影響される純情少年だった私は、さっそくトランプを手にしてシャッフル練習などを始めるのでした。
そういえば同じ頃、日本映画にも小林旭主演の『黒い賭博師』シリーズというのがあって、こちらはサイコロ賭博とゆーのでしょうか、アキラが振った壷を伏せてパッと開けると、サイコロ3個?がきれいに積み重なっていて、皆がそのテクニックにオオーッと驚くなんてシーンにも、やっぱり影響されて、もちろん壷振りの練習をしたりして、バカでした。ギャンブルそのものには全く興味がありませんでしたが。

この映画のクールでカッコいいマックィーンにシビレタのは当然でが、思春期真っ盛りの少年の注目は、やはり女優さんに向かっていきます。キッドの恋人クリスチャンを演じたチューズデイ・ウェルド。ああ、なんて可愛いんだ。清純派女優にとってもヨワイ私は、彼女のことを一発で気に入ってしまったのでした。

チューズデイウェルドとマックィーン

  チューズデイウェルド

今回の文章を書くために少し調べてみると、彼女はセクシー系女優と分類されているようです。そのような役柄が多かったのでしょうが、私は『シンシナティ・キッド』での彼女しか知りませんし、この映画での彼女はほんと可愛いんですからいいじゃないですか、放っといてください!え、ずっと放りっぱなし?
まあ、賭博師の情婦役ですからカマトトな純情可憐娘とはいきませんが。あと、ビンボーな田舎娘という設定もポイントが高いですね。ゴージャスな都会娘を私は苦手としております。


少年はこのような洋画の情報をどこから得ていたんだったかと記憶を辿ると、思い出しました、雑誌『ボーイズライフ』の存在を。この雑誌は中学生(高校生も?)向けの総合エンターテイメント誌で、映画やスポーツ、ファッションの情報が充実していた気がします。少年漫画誌の情報は物足りない、かといって『平凡パンチ』を読むには早すぎる(隠れて読んだりしましたが)、という情報エアポケット世代ともいうべき中学生をターゲットにした、それまでなかった画期的な雑誌でしたネエ。まあ、小学館からの発行で、学習雑誌『小学6年生』を読んでいた子供を取り込もうとした雑誌らしいので、思春期少年の妄想に力強く応えてくれることは期待できませんでしたけど。

ボーイズライフ  さいとうたかを007

漫画も連載されていました。記憶に残っているのは、さいとうたかをの「007シリーズ」の漫画化作品で、後の『ゴルゴ13』の原型といわれています。上掲コマを見てもジェームス・ボンドの風貌がデューク東郷を思わせますね(セリフが軽すぎますけど…)。私はボンドを描いて似顔絵コーナーに投稿したことがありますから、かなり熱心な読者だったのでしょう。

この『ボーイズライフ』は創刊後わずか数年で廃刊となります。短命に終わったのは、少年のライフスタイル確立の手助けをするというこの雑誌のコンセプトが、まだ時代的に早すぎたからではないかと言われています。後の『POPEYE(ポパイ)』や『BRUTUS(ブルータス)』、『GORO(ゴロー)』などの原型となった雑誌と位置づけられているそうです。

こうして回想してみて思うのは、田舎の中坊も、情報過疎地的環境のなかで、なんとかそれらを吸収しようと頑張っていたんだなあ、ということです。なんせ、テレビの民放チャンネルが一つしかない土地でしたからネエ。

『シンシナティ・キッド』の終わりには、レイ・チャールズのオリジナル主題歌が流れます。冒頭のニューオリンズ音楽もそうですが、当時は無意識で聞いた南部の黒人音楽が、今ではとても好きになっています。きっと当時そっと蒔かれた種が心の中に残っていて、いつのまにか大きくなったんじゃないかなあ。そんなことを思うと、ショーモナイ子供だったあの頃の自分が、少しイトオシクなります。
プロフィール

オジイ川端

Author:オジイ川端

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