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ロックはストーンズとともに年老い、かつての少年も老年を迎え、でも……。

Category : 1960年代/音楽
昨日のジョギングのBGMはローリングストーンズでした。『ベガーズ・バンケット』、『レット・イット・ブリード』、『スティッキー・フィンガーズ』。1968年から71年、一時期の迷走を脱して腰が据わり、世界一のロックバンドへとのし上がっていく途上の大名盤三連発。

寒い朝に聴くストーンズはいい。ホットで粘っこくて。よく煮込まれたアツアツのシチューみたいに体を温めてくれます。そのぶん夏に聴くのはちょっと辛い。若い人なら暑い季節をより熱く楽しむのでしょうが、この歳になると少々モタレます。


19回目の神経衰弱/Rストーンズ

まったくモタレたりしなかった1966年、14歳の私が、初めて買ったストーンズのレコード。これを選んだのはビートルズのときと同じで、田舎の小さいレコード屋さんではその時点での最新シングルしか手に入りにくかった、という理由だったと思います。

聴いたときの第一印象は、きれいにまとまった曲で、ビートルズより温和しめのバンドという感じ。まだ『サティスファクション』も『一人ぼっちの世界』も聴いていなかったので。いま聴くと、クリアーなギターリフや軽快なリズムが、ビートルズの『アイ・フィール・ファイン』にモロ影響された曲と感じられます。その『アイ・フィール・ファイン』は、ビーチ・ボーイズなどアメリカ西海岸バンドの音作りから学ぶところ大だったと思われ、それが次にバーズなどのウェストコーストのバンドにフィードバックしたりと相互影響しながら、後の西海岸主導のムーブメント「サマー・オブ・ラブ」へと繋がっていったのだと思います。

『19回目の神経衰弱』はそういう流れにある曲なので、先行曲の『サティスファクション』などよりカラッとした軽快感があるんじゃないかなーと愚考します、歌詞は別として。え、的はずれ?

この曲を入口として、前記の『サティスファクション』などに遡りつつ、リアルタイムの『黒く塗れ』などを聴いていくと、最初の印象とは違い、荒々しく不良っぽいバンド像となってきたんですね。若者の不満や苛立ちをテーマにした「元祖パンク」的な世界というのでしょうか。まあ、田舎の呑気な中学生にはさほど理解できませんでしたが。

判官贔屓的性格から、ビートルズよりはストーンズが好きでしたが、その後のストーンズは、まるで阪神タイガースのようにファンをハラハラ、ガッカリさせ続けます。1967年の「サマー・オブ・ラブ」から派生したフラワー・ムーブメントやサイケデリックムーブメントに追従して、というかこれら時代最先端の動きを敏感に取り入れ先頭を切る名曲を連発していたビートルズの真似をして、『この世界に愛を』『ダンデライオン』『シーズ・ア・レインボウ』『ランターン』などを発表しますが、まあこれがいわゆる「スカ」の連続なんですね。誰が聴いてもつまらないぞ、らしくないぞ、ということで人気も急降下、ビートルズにすっかり水をあけられてしまいます。時代がキャラと合っていなかったのでしょう。ストーンズが「髪に花を飾って」も(フラワームーブメントの代表曲『花のサンフランシスコ』の歌詞より)似合いませんもん。

「サマー・オブ・ラブ」のブームが短命で終わったことでストーンズの目が覚めたのか、1968年には、ブルースを根幹に据えたストレートなロックに回帰し、『悪魔を憐れむ歌』『ストリートファイティングマン』を含む名アルバム『ベガーズ・バンケット』を制作します。同時期にシングル『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』を大ヒットさせ、ストーンズは復活します。

実は、私は『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』は買って聴き、久しぶりの良い曲だとは思ったものの、フラワー・サイケ期でストーンズに対する興味を失っていたため、以後二十数年間彼らのレコードを買うことはありませんでした。つまり彼らの全盛期が始まろうとしたときに私は聴くのをやめたのです。

以前書いたように、高校生時代までに集めたレコードをほとんど処分したこともあり、私の興味は、アメリカの新しいロック、特にニール・ヤングやクロスビー・スティルス・アンド・ナッシュ、ポコなどのウェストコースト系バンドに向かいました。そしてジェームス・テーラーやジャクソン・ブラウンなどアコースティックなシンガー・ソングライター。さらに70年代半ばにはイーグルス。彼等の繊細で叙情的しかも社会性も併せ持つ音楽は、その後永らく私を支配し続けたような気がします。そのせいで70年代音楽については、残念なことにウエスト・コースト系以外あまり知りません。

まあ、私に忘れられても、ストーンズは痛くもかゆくもないわけで、ロックの帝王としてその後も君臨し続けるのでした。

私は、狭義のロックは60年代半ばから始まったとする立場で、ボブ・ディランらと並んでビートルズやストーンズがその創始者だと思っています。当時、彼らの中で最年長のディランやジョン・レノンでさえ25歳、つまりまだ歴史というものがないロックには若者しかいなかったのです。中年のロッカーなんて想像しにくかったし、ましてやロックをやる老人なんて!

I hope I die before I get old. Talking about my generation
歳とる前に死にたいぜ 俺たちの世代のことについて話そうや
                                     (ザ・フー『マイ・ジェネレーション』)

なんて、イキガッテみせることができたのです。ところが時は流れて………ジジイになってもロックやってる!歳とる前に死にたいと言ってた(歌の中ですが)フーのピート・タウンゼントも、しっかり長生きしていまだにステージに立っているし、御大ストーンズはもちろんバリバリの現役バンド。ほんの数年前にもライブを記録した映画が公開されました。その中では、65歳を過ぎたミック・ジャガーが歌い踊りながらステージ中を駆け回っています。

何なんだろうこれは。若い頃に、ミックが70になってもロックやってたら笑えるねえ、と冗談みたいに想像したことが現実になっている。そして14歳の頃には絶対想像できなかった自分の60歳が、あと10日でやってくる。遠いところにあると思っていたものが、実は近くにあったんだという感覚。んー。


還暦を目前にして少し感傷的になりました。オレは何を書きたかったのかな。ここんとこ全然話が整いません。えっ、ずっと? じいさんになってもロックが楽しめるなんて幸せだねえ、ということで今日は失礼します。

たぶん本年最後のブログになると思いますので、ご挨拶。

ご愛読下さったごく少数の皆様、よいお年を。

来年も暇があったらお読みください。








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中島らも「いいんだぜ」は、「イマジン」をある意味超えていると、ダニエル斉藤は言った。

Category : 未分類
今日の朝日新聞連載「おやじのせなか」は、中島さなえでした。著名人がタイトルどおり父親のことを語るインタビューで構成されたコラムで、20年以上続いていると思います。

私は、娘が小さい頃、「有名になって、おやじのせなかの取材を受けて、うっとーしー酔っ払いだけど根は優しい父でした、とか言うてくれ。それが俺の夢や」なんて吹き込んでました。もちろん娘はフツーの無名の大人に育ち、夢は実現していません。

中島さなえの父親は中島らも。

私は、12月に入ってひょんなことから久しぶりに中島らもの曲を歌って以来、その曲や、らものことを訊かれ説明することが何度かあり、昨夜もバーでマスターに喋ったので、こりゃ次のブログテーマは中島らもかなあ、と酔っ払った頭で思いながら帰路に着いたことでした。

そしたら、今朝の「おやじのせなか」が、らもの娘さんだったので、そのタイミングに驚きました。

娘さんが語るらもとの関係は、ほぼ想像どおり。家に居つかず、たまに居ても酔っている父親との間にはずっとベールがあったといいます。それが父親のバンドにコーラスで参加するようになり、次第にベールが取り払われていったそうです。バンドのときしか一緒にいられないので誘ってくれたのだろうと彼女は言います。わかるよねえ。

知らない方は、ここまで読んで中島らもをミュージシャンだと思われたでしょうが、彼の本業は作家です。
代表作を一つ挙げるなら『ガダラの豚』。前半は、笑いを伴った爽快なインチキ宗教暴き。中盤からは舞台をアフリカ、日本と移して、呪術集団と死と血の臭いに満ちた凄まじい戦いを繰り広げるという、圧倒的バイオレンススペクタクル小説です。呪術や薬物、原始性、闇などに関する中島らもの嗜好性が思い切りぶち込まれた傑作です。文庫本だと三冊に分かれている大長編。

中島らも/ガダラの豚_


中島らもを知ったのは、25年以上前。テレビのバラエティー番組で観たのが最初でした。度の強い眼鏡をかけた長髪の痩せた男がもちゃっとしたスローモーな関西弁でアホでオモロイコメントをしていて、それがまだコピーライター時代の中島らもでした。ユーモアにあふれた関西ネタエッセイで次第に知名度を上げ、朝日新聞の『明るい悩み相談室』の解答者として全国区の人気者になります。「僕は、普通の人なら飯も喉を通らないはずの窮地に立たされても、いつでも飯が美味いのです。友人には、お前には脳みそが無い、といわれます。どうしたらいいんでしょう」などという悩み相談に、らもが解答していきます。どんな答えだったか忘れましたが、あほな解答だったことは確かです。初期の雑文集『たまらん人々』では、思ったことが全部口に出てしまう「ダダモレ」のオバサンを描いたお笑い台本が、むっちゃ面白かった記憶があります。

その後、関西ネタは封印し、作家の看板を揚げ小説中心に移行します。アルコールによる酩酊状態から力を得て書きなぐり、膨大な仕事量をこなすというスタイルを続け、やがて彼はアルコール中毒となります。その破滅的な体験を描いたのが『今夜すべてのバーで』という作品。傑作です。

また、らもは「リリパット・アーミー」という劇団も立ち上げ、座付き脚本家・役者としても活躍します。創設メンバーのわかぎゑふは、その後劇団の代表、中島らも事務所のマネージャー、創作のパートナー、愛人となり、らもは妻子の居る自宅に帰らず、わかぎと暮らすようになります。そのあたりの愛憎については、妻・中島美代子の自伝『らも』に生々しく描かれています。

中島美代子/らも_

美代子によると、たまに家に居る時は、創作に詰まると妻に暴言を吐き暴力をふるうことがよくあったそうで、子供達は怯え、らもを嫌っていたようです。美代子も外に愛人を作り家庭は崩壊状態となります。やがてらもはアルコール中毒から重度の躁うつ病になり、支離滅裂な言動、激しい、視力低下ほとんど歩けないような運動障害も出てきます。こうした危機のおかげで、らもは自宅に戻り妻子と再び暮らし始めます。美代子はらもの介護をしつつ、ほとんど目が見えなくなったらもの口述筆記をしたりで、夫婦は新婚当時の親密さを取り戻したそうです。その当時の暮らしの様子はNHKのETV特集で放送され、私も見ました。40台なのに90歳の老人のようならもの姿は強烈でしたが、そこには静かで穏やかな諦観のような空気が満ち、かすかに感動を覚えた記憶があります。

やや体力も回復した1990年代後半から、らもはロック・バンドを結成し、かなり活発にライブを行うようになります。

中島らも/ロッキンフォーエヴァー

オフィシャルで入手できるたぶん唯一のライブ映像がこれです。オリジナル歌詞の詩集とDVDがセットになった、書籍扱いのものですが、この中に畢生の名曲「いいんだぜ」が入っているのです。私が先日歌ったのはこれ。

彼はあるとき、いわゆる差別語として自主規制している言葉が増え続けていることについて編集者と議論となります。このままでは自主規制用語の量は分厚い辞書ほどにもなり、文学の表現も成り立たなくなるというと、編集者は、それでいいじゃあありませんか、と言ったそうです。こうした風潮への抗議の気持を込め、彼は「いいんだぜ」のアタマで、差別的とされる単語を連発します。決して差別的に使用しているのではないというメッセージを込めて。

   君がメクラでも 君がチンバでも
   君がツンボでも どんなカタワでも
   いいんだぜ いいんだぜ
   いいんだぜ いいんだぜ

オフィシャル音源では、当然この部分はピー音で消されています。しかしYouTubeにアップされた中には、そのまま歌われているのがあり、こうして歌詞を知ることが出来ます。中島らもはいいんです。覚悟をもって、差別的とされる言葉を発しているのだから。反吐が出そうになるのは「いいんだぜ」をコピーしてそのまま歌っている幾つかの素人の画像です。そこには何の説得力も無い、覚悟も無い、薄っぺらな汚なさあるだけです。お前らには背負えないよ。

私にも背負えない。だから、この部分は歌詞を変えて歌っています。変えてもこの歌の素晴らしさは損なわれません。これはジョン・レノンの『イマジン』に匹敵する大きな愛の歌なんですから。
この歌詞の後半。

   君が黒んぼでも 君がイラク人でも
   君が北朝鮮人でも 君が宇宙人でも
   いいんだぜ いいんだぜ
   おれはいいんだぜ Hey Brother 君はきょうだい

上掲DVDのラストに入っている「いいんだぜ」ライブバージョンが名演です。らもの歌唱もバンドの演奏もゲストの石田長生のギターも熱い。そしてコーラスのさなえもいい顔して歌っています。なぜかスティーブン・セガールの娘がいて感極まってさなえに抱きついたりしてます。


今日の「おやじのせなか」を読んでから、このシーンを思い出すと、さなえの気持がわかるような気がして、すこしウルッときてしまいます。

中島らもの最期を書いておかなくちゃ。
以前から、階段から落ちて死んでしまうなんてマヌケな最期もいい、などと発言していたらもは、2004年7月15日深夜、神戸のライブの打ち上げを終えて帰ろうとして、本当にライブハウスの階段から落ちて頭を強打、脳挫傷を起こし、意識不明となり、自発呼吸も出来なくなります。手術するも回復せず、同25日、本人の日頃の意思に従うかたちで生命維持装置が外され、永眠してしまいます。

最後にさなえの語るエピソードをひとつ。高校1年の頃、バンド練習に参加したら、らもが酒飲んでだらーと練習するので腹が立ち、帰りのタクシーの中で意見しました。するとらもは

   「キミは全然わかってない。練習とか技術とかじゃなくて、ロックは殺気やから」
    自信満々なんで、何かそんな気もしてきたら、
   「おとうさんおなかすいたからうどん食べて帰るわ」って1人で降りていった。
   「うどんて。全然殺気ないやん」て。

ええボケとツッコミや。



本日もまとまりのない文章失礼しました。





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Author:オジイ川端

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