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浅川マキのダークネスは無理せず頑固に生きた証なのだ

Category : 1970年代/音楽
一カ月前に還暦となりました。

そのとたんに、TSUTAYAでCD借りたらシニア割引されるし、シネコンの映画チケットもシニア料金ボタンを押すよう教えられるし、で軽いショックを受けています。年金相談会の案内もきて、つまり社会的に「老人」と宣告されたわけで、これってやはりあまり気分の良いものではアリマセン。

そのことへの反発、精神的なアンチ・エイジングのようなつもりなのか、このところやたら新しいこと始めたり、興味の対象を広げたりしているような気がします。ケータイをスマホに替えて、ツイッターやフェイスブック始めたりムービー作ったりMIDIいじったり、つい最近までなんとなく面倒で遠ざけていたことに取り組むようになりました。音楽も60-70年代だけでなく、最近の人のも聞きたくなって『レコード・コレクターズ』だけじゃなく『ミュージック・マガジン』も読むようになった。新しい映画のこと知りたくて初めて『キネ旬』買ったし。

自慢? そう、オレは年寄りじゃない!とアピールしたいがです、周りや自分に向かって、たぶん。これは一時的な「還暦ブルー」の裏返しなのでしょうかねえ。

こんなことではいけない。このブログのテーマは「人は時代の虜囚、感性は若者の時に鎖に繋がれ、それを断ち切ることは一生できない。ゆえに常に後ろ向きに何度も何度もあの時代に立ち返り自分の成り立ちを検証するんじゃいボケ」というものですから、軽々しく「いま」に擦り寄ってはいけないのです。

というわけで迷いを振り切って、ここは「時代に合わせて呼吸するつもりはない」と言い切って、60年代末から自分のスタイルを貫き通し2010年に亡くなった浅川マキに登場してもらわねばなるまいぜよ。


浅川マキ/浅川マキの世界

浅川マキの世界  1970



浅川マキ/セカンド

MAKI Ⅱ  1971
 


浅川マキ/ライブ

MAKI LIVE 1972



浅川マキ/blue spirit blues

ブルー・スピリット・ブルース  1972



浅川マキ/裏窓

裏窓  1974



浅川マキ/灯ともし頃

灯ともし頃  1976



浅川マキ/流れを渡る

流れを渡る  1977



浅川マキ/ライブ夜

浅川マキライブ 夜  1978



浅川マキ/寂しい日々

寂しい日々  1978




浅川マキ1970年代のアルバムを発表順に並べてみました(6thのみ欠落)。ファーストはCDですが、それ以外はアナログ盤ジャケットを撮影したものです。

どうです!! 味があるでしょう? 暗い背景に黒ずくめの衣装で統一されたジャケットデザイン。黒にこだわった彼女の美意識は終生変わることがありませんでした。90年代から編纂されだしたベストアルバムシリーズも『ダークネス』というタイトルですから。

「黒」と並んで浅川マキを象徴するキーワードといえば「地下」でしょうか。60年代後半には「カウンターカルチャー」が世界的に大きな潮流になりました。支配的な既成の文化(オーバーグラウンドのメインカルチャー)を否定し、対抗する若者文化が大きな運動となったのでした。日本では「アングラ(アンダーグラウンド)」と呼ばれ、特に音楽や演劇に新しい勢力として台頭していきました。政治的な対抗勢力「新左翼」とも連動して、地域的には東京新宿を中心にして、なにやら熱いものがうねっていましたねえ。

60年代アングラ演劇の旗手、寺山修司にその個性を見いだされて本格的な歌手デビューをしたのが浅川マキでした。アングラの特徴のひとつに暗く土俗的、情念的なるものがあげられます。60年代の猛烈な高度成長がもたらしたひずみとして逆照射された暗部を、アングラ演劇では好んで取り上げました。浅川マキはデビューアルバムから既にこういった要素をたっぷり含んだ世界を確立していました。日本の演歌的な情念とブルースやロック、ゴスペル、ジャズの要素を融合した独特な「浅川マキ節」を創り上げ、信頼するミュージシャンと共に、その後40年間ブレることなく歌い続けました。

とはいっても、暗く重い歌ばかりではなく、70年代の彼女には、少年(的なるもの)に対する含羞や、稀代のプレイボーイ・ロックシンガーのロッド・スチュワートがお気に入りで彼の曲を度々カバーするなど、若い女性らしい明るい一面もあり、その意外性もまた魅力となっていました。

彼女を支えた人達としては、山下洋輔、坂田明、つのだひろ、向井滋春、稲葉国光など当時の一線級ジャズメン、戦前の伝説的トランペッター南里文雄、若き日の坂本龍一、近藤俊則(後の等則)、レコーディング・エンジニアの吉野金次(上掲のアルバムのほとんどを録音)、写真家の田村仁(上掲のジャケット写真ほとんどを撮影)など、錚々たるメンバーがあげられます。私は、大学生の時に浅川マキに抜擢されたという、萩原信義の力強いヘタウマ?ギターが大好きでした。

浅川マキのアルバムは、よく売れて1万枚、だいたい数千枚しか売れなかったそうです。ふつうならメジャーレーベルからは契約を打ち切られる売れ行きなのですが、彼女は死ぬまで東芝EMIの所属でした。いかに彼女の存在が貴重であったかの証でしょう。また、彼女はCDの音質に不信感を抱いていたそうで、上掲のアルバムのほとんどは彼女の意向により、CD化されることなく廃盤となっていました。それが彼女の死後どっとCDで再発売されて聴けるようになったのですから、ファンとしては複雑な気持ちですね。

彼女が作った曲にも好きな曲はもちろんたくさんありますが、なにか1曲選べと言われたら、上記ロッド・スチュワートのカバー『ガソリン・アレイ』ですかねえ。憂歌団の『シカゴ・バウンド』と同じような内容で、帰郷ソングというのでしょうか、都会の暮らしがうまくいかなくて田舎に帰ろと思う歌ですね。彼女が残した曲の中でいちばんハードでロックっぽいナンバーです。

  ♪何もかもがうまくいかなくてさ 毎日毎日が
   これじゃおいらが生きてることさえ無駄な気がしてきた
   帰ろう おいらが生まれたあのガソリンアレイへ
   帰ろう 細い路地のあのガソリンアレイへ
                        (日本語詩/浅川マキ)


私もかつて同じように、都会の暮らしに挫折して田舎に戻ってきた身ですから、この歌への愛着も一入なんです。
まあ、彼女自身は一貫して大都会に住み続け、その孤独を歌に刻み続けてきたのですが。

今の世は、皆自分の中の暗いものを隠そうとします。そうして無理をしてあるとき心が折れる。彼女の歌を聴いていると、今の人はもっと暗さを飛散させてもいいじゃないか、なんて還暦ブルーのオジイは思いますよ。


眠くなってきたので、尻切れトンボ的に強引に落ちないオチをつけてしまいました。お休みなさい。




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