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野外フェスの原点『ウッドストック』の映画はいろいろ楽しめたのだ

Category : 1970年代/映画
野外で行うコンサートは主催側にとって、屋内でのそれよりやり終えた後の充実感というか達成感が何倍も大きく思えます。それは、会場設営などの準備や天候のことなど、しんどさやリスクの大きさと比例しているようですね。今年のように晴天のもとで開催できて、多くのお客さんが来て満足してもらえるともちろん嬉しいのですが、たとえ悪天候などで運営に苦労して、「なんでこんなしんどい野外をやりゆうがやろ」とそのときは思っても、後かたづけをしてビールで乾杯すると、「よし、来年はもっと入念な準備をして晴天を引き寄せて、気分の良いイベントにするぞ」と、再びやる気が出てくるから不思議です。長距離ロードレースを走り終えた気分と共通するところもあります。

さて、私の世代(団塊弟世代?)にとって野外フェスといえばウッドストック。フジロックではありません。ということで、前回の仕切り直しで、野外フェスの代名詞『ウッドストック・フェスティバル』についての思い出をたどってみたいと思います。


ウッドストック・ビデオ

(映画『ウッドストック』1994年のディレクターズ・カット版のヴィデオジャケット)

ウッドストック・フェス(正式名称『ウッドストック・ミュージック&アート・フェア』)が開かれたのは、1969年のことでした。当時私は土佐の小さなマチの地元高校3年生。唯一の都市といってよい県庁所在地へ出かけることもめったにない田舎モンでした。なので、ウチで購読していた地方新聞で、アメリカのニューヨーク近郊で行われた野外コンサートに数十万人が集まった、という記事を読んだときも、へえアメリカというのは何でもスケールが大きいモンだなと思った程度で、そんなに多くの人が集まったことの背景や意味についてはとくに考えませんでした。

まあそれでも、ニュースなどで頻繁に反戦デモやら大学封鎖やらのことが報じられるし、東大全共闘と機動隊の安田講堂攻防はテレビ中継までされたので、ボーッとした私でも、いまが、若者たちが社会に怒り闘ったりしている激動の時代らしいということは感じて興奮したりしていました。そういえば、柴田翔の『されどわれらが日々』に感動して、よくわからないがオレはこのままじゃいけないなんて気負って、文学青年くずれのシニカルな雰囲気でけっこう気に入ってた国語のシマサキ先生にそのキモチをぶつけにいったこともありました。『されど~』は現在では、なんでこれにカブレたんだろういやあお恥ずかしい若気の至りですな的小説の代表として有名で、シマサキ先生にも、まああれは小説のハナシだからみたいに苦笑されたことを覚えています。

当時(1960年代後半)の世界は、第二次大戦終結後のもっとも大きな激動期にありました。欧州では「プラハの春」とチェコ事件、パリ5月革命などが起こり、多くの学生や労働者が政治的行動に参加しました。アメリカではベトナム戦争の激化により、アメリカ兵の戦死者数が増大し、さらにアメリカ軍によるベトナム民間人虐殺事件なども多発したため、反戦運動が拡大しました。また、公民権法施行以後も解消されない人種差別、キング牧師の暗殺などの要因により多くの都市で暴動が頻発していました。運営民主化などを掲げた大学紛争も全土に広がっていました。

そんな時代状況を背景に、既成の体制や文化を否定するカウンターカルチャーが若者の間で広がっていきました。その中から、平和と歌を愛し物質文明から距離を置いて自然の中で自由に生きることをモットーにした「ヒッピー」と呼ばれる人々が現れ、1967年には「サマー・オブ・ラブ」という一大社会現象に発展します。彼らは反戦という政治的意志表示、ドラッグ使用による精神的解放、ロック音楽、コミューンでの共同生活、フリー・セックスなどをライフスタイルとしていました。


こうしたカウンターカルチャー=ヒッピームーブメントがピークに達しようとしていた時期に開かれたのが「平和と音楽の3日間」をキャッチフレーズとした『ウッドストック・フェス』だったのです。主催者の思惑を遙かに超えた数のヒッピーやその予備軍、シンパ、そしてただのお調子者たちがニューヨーク近郊の会場に押し寄せます。その大半の人々は入場券を持たず、会場を仕切るフェンスを壊してなだれるように侵入したため、主催者は入場料徴収をあきらめ、無料コンサートに切り替えます。

予想の10倍を超える数十万人の人々を迎える体制がなかったため、食料不足、トイレ不足などで環境が悪化し、災害地域に指定されるほど混乱します。しかし事態の深刻さに反して略奪や暴力沙汰などはほとんど発生せず、、奇跡的に、平和的な雰囲気のうちにフェスは終了します。そんなことから「愛と平和の祭典」というイメージが確立したようです。実際の会場は地獄さながらだったという証言もあるそうですが。


ウッドストック表

ウッドストック裏

(サントラ盤『ウッドストック』ジャケット 上:外面 下:中面三連見開き)


さて、映画『ウッドストック』は日本ではフェス開催の約1年後の1970年7月に公開されていますが、自分が観たのがいつ頃だったのか、覚えていません。おそらく公開直後ではなく1~2年経って名画座などに降りてきてからだと思います。以来、機会あるごとに何度か観ています。ビデオなんて無い時代ですから、上映映画館を追って観に行くのです。当時は、欧米のロック音楽の演奏シーンをテレビで観られることはほとんどなく、もっぱら音楽記録映画が頼みの綱でした。『ウッドストック』のほか、『レット・イット・ビー』、『バングラディシュのコンサート』、『フィルモア最後の日』など、70年代前半には多くの音楽映画が制作され、動くロックスター見たさに映画館に足を運んだものです。

演奏シーンがあればそれで満足ですから、どの映画も楽しかったのですが、やはり『ウッドストック』が格別に魅力的でした。開放的な雰囲気が横溢したライブ会場、地平線まで続く大観衆にミュージシャンも興奮して熱演を繰り広げます。ジョー・コッカーが、今言うところのエアギターを弾きつつ身体をフラフラさせて絞り出すように熱唱する『心の友』(ビートルズ『With a little help from my friends』のカバー)など、いま観ても感動モンです。

そしてもう一つ、青少年のココロ、いや目を奪ったのは、レコードジャケット左にもあるように、多くの若者がスッポンポンになって湖で遊ぶシーンでした。これは衝撃的。当時の日本ではあり得ない光景でしたし、演技でないシロート外人さん(仕込みの疑念もありますが)のハダカにお目にかかったのも初めてでしたので、これはウレシイ映像でしたねえ。ちょっとこれはという体型のヒトもいましたが。

まあこうしたシーンは例外として、当時は演奏以外の部分(観客ルポなど)は余計なものとして煩わしく感じられたのですが、今回久しぶりに見返してみると、そこがとても興味深くまた感慨深く思えました。数十年の時を経て、ドキュメンタリーとして見る視点が自分にできたことや歴史的資料としての価値が高くなったことによるのでしょう。

てなことを書き綴っていたら、2009年のウッドストック40周年に未公開映像を大量に追加して発売された4枚組みDVDが観たくなって、いまさっきAmazonで購入ボタンをクリックしてしまいました。やれやれ。

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Comment

No title

おじい!なかなか かっこいい記事っすね!
勉強になります。

Re: No title

ありゃ、とっきゅうさん、ありがとうございます。

これからも、ひとりよがりでマニアックな記事を
ポツポツ書いていきますので、
おひまなとき、覗いてください。
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