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雨が空から降れば、畳の下から……。

Category : 1970年代/音楽
少し肌寒くてしとしと細かい雨が降り続く、梅雨の半ば特有の天候が続いています。今日6月16日は、若い頃に仕入れた情報では、確か一年中で一番雨天率が高い日だったはずです。その頃から40年経過してますから、現在の統計では別の日になってるかもしれませんが。なぜそんなことを覚えているかというと、東京放浪時代は、アパートの契約時期の関係か、引越しする時期が決まって6月だったんですね。ある年の引越しが6月16日で、その日も雨。苦労して引越しを終えテレビをつけると、ニュースで「今日は、雨が降る確率が1年中でいちばん高い日です」なんてやってました。今でも覚えているということは、よりによってそんな日に引っ越したことがよほど印象的だったのでしょうねえ。

東京で最初に暮らした国分寺から引っ越した先は、葛飾区の新小岩というところです。位置的にも地形的にも文化歴史的にも国分寺とは正反対の土地でした。典型的な下町、庶民のマチで、ごみごみとして人は多いのですが、雰囲気は私の育った田舎と同じで、どこか落ち着けそうなマチでした。なぜ新小岩にしたかというと、大学の夜間部に入学して、やっと出来たサークル仲間たちがこの方面に住んでいたからという理由だけですが。国分寺での孤独な暮らしから抜け出て、これからは楽しく暮らせそうだなあ、なんて思っていました。ところが……。

引っ越して間もないある夜、寝ていると、枕の下でカサカサという音が。灯りをつけて枕をめくるとゴキブリが走り出てきました。周りに目をやると、畳や壁などにさらに数匹のゴキブリが! 国分寺ではもちろん、南国といわれるわが故郷でも一度にこんな数のゴキブリを目にしたことはありません。さらに数日後の夜、ふと気づくと畳の合わせ目からお尻にハサミのある小さな虫が1匹這い出してきたかと思うと、次から次へと兵隊さんの行進の要領で何十匹と出てくるではあーりませんか(少し古いですがチャーリー浜調で)。

その時見たハサミムシを調べて画像をアップしようと思いましたが、ドッとひっかかってきた画像を見て当時を思い出しあまりのオゾマシさに断念。代わりにその瞬間の心境を。

    叫び

後から聞いたところでは、アパートが建っていた場所は湿地帯を埋め立てた土地で湿気が多く、虫たちのパラダイスだったんですねえ。えらいところに引っ越してきたなと思いましたが、後の祭り。もう開き直って、この環境を楽しんじゃお、とコロしたゴキブリ数を「正」のカタチで記録しますと、アッという間に正の字が20を超えました、イエーイ!

そんな環境の中で買ったレコード(ようやくレコードプレイヤーも保有できてました)がコレ。小室等のファーストアルバム「私は月には行かないだろう」。

私は月には/小室等

このアルバムの最初に収録されている「雨が空から降れば」を聴きたくて買ったのでした。当時この曲は発表後数年しか経っていませんでしたが、ラジオなどで耳にする不思議と良い曲だけど諸事情からレコードはなかなか手に入らない、という、あの頃にはよくあった「幻の名曲」でした。その後、いつ頃からかは知りませんが、NHKの「みんなの歌」に入って、今では、梅雨時の定番曲となっていますね。

作詞は別役実。当時の新進気鋭の前衛劇作家だった彼らしく、シュールな歌詞が斬新でした。

  ♪雨が空から降れば 想い出は地面にしみこむ
   雨がシトシト振れば 想い出はシトシトにじむ
   黒いコーモリ傘をさして 街を歩けば
   あの街は雨の中 この街も雨の中
   電信柱もポストも故郷も雨の中
   しょうがない 雨の日はしょうがない
   公園のベンチで一人 おさかなをつれば
   おさかなも又 雨の中

いやあ、いい詞ですねえ。でも現実の梅雨時の新小岩生活といったら……。この落差のせいで忘れがたい曲であります。この時期になると聴きたくなって、真っ白だったジャケットがすっかり黄色くなったこのアルバムを棚から引っ張り出すのです。

ところで、ごく最近知ったことですが、この別役実さんは、私の音楽仲間であるY兄妹の叔父さんだったんですねえ。ネットで調べると、この家系は寺田寅彦や安岡章太郎にも繋がっている。どーゆー一族なんだ、Y兄妹。

国分寺からカルフォルニアの青い空は見えなかった

Category : 1970年代/音楽
東京に行って時間ができると、時々思い出の場所を訪ねたりする。センチメンタル・ジャーニーというやつです。先日の上京の際には、宿を昔住んでいた国分寺にとり、ゆっくりと青春時代の思い出に浸りました。

国分寺には特別な思いがあります。それまで住んでいた横浜の新聞店の寮を出て、初めてほんとの独り暮らしを開始したのが国分寺だったというのが第一ですが、その他にも二つほどのささやかな理由があります。

ひとつは、愚息が独り暮らしを始めた街も、偶然、国分寺だったということです。それも、新聞店の寮を出て国分寺へというルートまで同じ。私の真似をしているのかと思い訊いてみると、私が昔国分寺に住んでいたことなど知らなかった、とのこと。広大な東京の、ほんっとたくさんある街の中で、国分寺というマイナーなマチを、30年の時をまたいで親子が共に、自立の第一歩の地に選んだという、極私的で不思議な偶然が起きました。

もうひとつは、身内でもなんでもない、世界のムラカミさんにかかわる偶然。あの村上春樹のことです。といっても、彼が学生結婚してジャズ喫茶「ピーターキャット」を開いた街が国分寺だったというだけのことなのですが、引っ越してきたのが、ちょうど私と同じ73年らしいとなれば、村上ファンとしてはタマラナイ話じゃございませんか(開店は翌74年とのこと)。
私は当時、カッコつけてジャズ喫茶巡りなどをしていたので、その頃地元の「ピーターキャット」の存在に気づいていたら必ず聴きに行ったはずです。店のあった近辺には何度か足を運んだことがあったのですが、目立たないビルの地下にあったというその店には、ついに気付かずじまいでした。作家デビュー前の村上春樹に会ったことがあるという、凄い体験をした人間に、あと一歩のところでなり損ねた不運な私なのでした。まあそんなこと、当時は知る由もないのですが。

ムラカミショックよりははるかにランクが落ちますが、オマケとしてもうひとつ。国分寺駅からピーターキャットに向かう途中に国分寺書店という古本屋がありました。この店のほうには時々カオを出していたのですが、数年後に椎名誠のデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』で有名になります。描かれているのは実際の国分寺書店とはあまり重ならないフィクションのようですが。


そんな私的歴史の詰まった国分寺の街を、雨の中歩いてきました。アパートを仲介してもらった不動産屋さんや通っていた散髪屋さんは、代替わりはしているでしょうがまだ営業しています。銭湯はサウナとコインランドリーに商売替えか。と歩いていくと、あれっ、ない。住んでいたアパートのあった場所が駐車場になっていました。5年前に来たときにはマンションとして残っていたのに。駐車場の名前がアパートと同じ名前なので、持主は変わってないのでしょうが、建物がなくなったのは残念だなあ。しかたないか、東京で40年も昔の面影を保つというのは無理だもんね。

そうそう、忘れるところでしたが、アパートの前の狭い道路は、確かあの有名な「三億円事件」の逃走経路となったと思われる道なのでした。アパート前の道路を1kmほど西へ行くと武蔵国分寺史跡がありますが、盗まれた現金輸送車がそこに乗り捨てられていたのでした。私が引っ越してくる5年ほど前のことです。

前々回の日記にも書きましたが、この頃はほんとに孤独でした。まだ知り合いもいなくて、バイトにありつけない期間は部屋にこもって本ばかり読んでいました。あるときふと歌をハミングすると、自分が声を出したのが3日ぶりだということにハッと気付き、その瞬間に孤独が身に沁みたりしました。尾崎放哉の句(「咳をしても一人」)の心境ですね。

そのとき何をハミングしたか覚えていませんが、たぶんこのような曲だったんではと思います。


カルフォルニアの青い空/Aハモンド

うつろな愛/カーリーサイモン


アルバート・ハモンド『カルフォルニアの青い空』とカーリー・サイモン『うつろな愛』。当時ラジオからよく流れていたこの2曲がとても気に入り、これらがかかるとトランジスタラジオのスピーカーを耳にピッタリくっつけて聴き入ったものです(こうするとステレオで聴いているように迫力ある音になるのです)。音楽を聴く機器はトランジスタラジオしか持っていませんでした。

私の中ではこの2曲がずっとセットになっています。ヒットしたのが同時期で、曲調もとてもよく似ていました。どちらも当時の代表的な爽やかなウェスト・コースト・サウンドで、孤独な魂を癒し元気づけてくれるように感じたものです。歌詞の内容はそんな元気づけるようなもんじゃないみたいですが、英語が解らないから気になりませんでした。

この日記を書くために訳詞を読んでみたら、『うつろな愛』は、「あんたは、釣った魚にはエサをやらない男なのね」みたいなモテ男への恨み節で、想定内の内容でしたが、『カルフォルニアの青い空』のほうは、抱いていたイメージとは異なった歌詞で、それが当時の私の生活と重なるところのある身につまされる内容だったのには、ちょっと驚きました。

 ♪仕事にあぶれて, 気が変になって,
  自尊心もなくなって, 食いっぱぐれて,
  愛され度ゼロ。 満腹度ゼロ。 家に帰りたいよ。
  南カリフォルニアでは雨が降らない。
  でも, ねえ君, 注意しなくちゃね
  降ったら土砂降り そうさ 土砂降りなんだ。

  故郷の両親にはボクはもうちょっとで成功するとこだったて言ってくれないか。
  いろいろ話はあったけどどれに乗ったらいいかわからなかったんだ。
  両親には言わないでくれないか,ボクがどんな様子だったかは。
  勘弁してくれよ 頼むよ。

  (訳詩は『なつメロ英語』サイトより転載させていただきました。 訳:HideS)

ね、セツナイ歌詞でしょう。両親には自分の暮らしを知られたくないというところなどにウナヅク人は多いんじゃないでしょうか。

そんなこんなで、暮らしたのは、わずか2年でしたが、年が経つにつれ、私にとってその存在が大きくなってゆく不思議な街、それが国分寺なのです。私の在住期間を超え7年ほど国分寺周辺に住んでいる愚息は、遠い将来どんなふうにこの街を思い出すだろう。そんなことをふと思う、まさにセンチメンタル・ジャーニーでした。


追記:この日記に掲載するレコードジャケットは、原則として、自分が買ったり借りたりして、手に取ったことのあるものに限っているのですが、この当時はレコードプレイヤーを所有していなかったので、上記2枚のレコードに限っては手に取ったことがありません。カーリー・サイモンのは胸のポチッがオトコどものあいだで随分話題になっていたことを、後に知りました。
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